一週遅れの映画評:『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』そして「約束」は信頼に変わる。
なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。
今回は『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』です。
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今週は『ゲ謎』こと『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』ですが、この作品で全体を貫いているのって「約束」なんですよね。
まぁいつも通りネタバレにいっさい躊躇せずにやっていきますが
・製薬会社社長が「時期当主になる」と言って、水木たちから便宜を計ってもらっている。
→だが当主は長男の麻呂クンに。
・男の子の「未来はもっと良くなるの?」という問い。
→これに関しては後で。
・知りたいことを話すから座敷牢の鍵を外せ。
→外さない。
・女の子と駆け落ちする。
→できなかった。
・「忘れないで。僕は居たよ」
→現在進行形。
ざっと時系列順にあげるとこういう感じになるじゃないですか(他にも「Mの生産方法を見つけたら今後は便宜を計る」とか「時期当主は孫の男の子にする」とかもあるけど、ここでは割愛)。
でね、男の子から「未来はいまよりずっと良くなるの?」って問いに対して、水木は「絶対そうなるよ」みたいなことを答えて、一方でゲゲ郎は「わからん、がんばり次第」的なことを言うわけですよ。それで水木から責められたゲゲ郎は「ワシはおためごかしはしない」って言い返す。
ここって一見すると真逆。つまり水木は適当に調子の良いことを、ゲゲ郎はシビアな現実の話をしているように思えるんだけど。見方を変えると水木は果たす気のない約束をしていて、ゲゲ郎はそんなこと約束はできないって立場じゃない? これってどっちも「約束」というものを、まったく信頼してないんですよね。
端から守る気がない水木にとって、ここで少年とした約束って何の強制力も無いただの雑談。ゲゲ郎もここで何かを約束したところで、それが達成できるかどうかには関係が無いって思ってる(だからその場だけでの「おためごかし」すら拒否する)。
だからふたりとも「ここで未来を約束した」としても、その「約束」は信頼に値するものでは無いって立場にいて。言ってることは真逆でも、その性根に抱えてるものって同じなんですよね。
そこに女の子との約束が、というかこの娘の言うことがカウンターとして働くわけですよ。彼女は「私を東京に連れていって」というか、水木に駆け落ちすることを迫る。まぁ当然、水木は渋るわけですな。
そこで彼女は
と告げる。
これって完全にさっき言った水木&ゲゲ郎に共通しているものの、反対側にある態度なわけですよ。水木みたいに「果たす気がない」わけでもなく、かといってゲゲ郎みたいに「約束しても意味が無い」というのも否定されている。
「約束」をして、それを守ろうとする。その気持ちだけが、約束することの意味だと説いてるわけです。
ここまでって、はっきり言って「約束」がまったく機能してないんですよね。守る気が無いか、約束しないか、結果を問わないか、その3パターンしかなくて、誰も「ちゃんと約束を守る」が出来ていない。
だけどこの先から様相が変わっていく。この女の子と「一緒に東京へ連れていって」という約束を、水木は作中で2回するんです。一回目がいま話した「それだけが問題なのです」の場面、もう一つがどったんばったんあってゲゲ郎が捕まったあとなんですけど。ここで水木は彼女の身に降りかかった悪逆を知り、さらには引き起こされ惨劇の中心にいることも知っている。
それでも、というかだからこそ、彼女が求める「約束」の切実さを理解した水木は、一回目よりも本気で「その約束を守りたい」と思うわけです。が、それでもゲゲ郎を助けるために、彼女を連れて悲劇の中心へ戻らなくてはならない……つまりは「できるかどうかではなく、思っている」が、いま水木ができる限界として描かれている。
では、その先で描かれる「約束」って? というと、ラストまできて70年後の現代パートまで飛ぶんですよね。
狂骨の最後に残った一体を倒そうとしたとき目玉の親父さんは、それがあのときの少年だということに気づく。その少年は成仏するとき「忘れないで。僕はここに居たよ」って言うんですけど。
ただ、その前に親父さんは「未来を奪われた君の無念」「いまは君が夢見た未来とは程遠い」と語り、成仏するときに鬼太郎は「君の想いは僕が受け継いでいくよ」って告げる。
ここって、よくよく考えてみると会話が繋がってないんですよね。で、ちょっと整理してみる。少年は「僕はここに居た」と言っている、文面だけだと「僕が居たことを忘れないで」ってことに思えるけど、それだと鬼太郎も親父さんも全然見当違いのことを返してることになっちゃう、特に鬼太郎の「想いを引き継ぐ」ってよくわかんない。
だったらここで彼が言う「忘れないで」は、なにか別のことを指しているのでは? ってわかるわけです。改めて考え直せば、忘れて欲しくない「約束」は、作品のはじめの方にもうされていたんですね。つまり水木がした「未来は素晴らしい世界になる」、あるいはゲゲ郎の「がんばり次第でそうなるかも」って「約束」のことなんじゃないか、と。
そう考えると親父さんの「夢見た未来とは程遠い」が「その約束を果たせなかった」っていう悔恨の言葉としてあるし、鬼太郎の「その想いを引き継ぐ」は「それでも夢見た未来になるようがんばる」って意味なんだな、と理解できるわけです。
ここで世代を経て、最初はちゃんと「約束」できていなかった水木とゲゲ郎たちから、少女の言う「それを果たそうとする気持ちの問題」という解釈によって消えずに残り、そして鬼太郎がその「約束」を引き受ける。
親から子へ、人から人へ、世代から世代へ。そうやって願いが引き継がれていく可能性を、こうやって描いて見せている。
そしてその「約束」は果たされるのか? って考えたとき、ひとつの「忘れられた約束」を私は思い出すんですよね。
ゲゲ郎は妻と息子のことを水木に頼んだ。水木はゲゲ郎の妻を抱えてなんとか逃げ出すも、自分が誰に何を頼まれたのかを忘れてしまう。
それでも水木は墓場から出てきた鬼太郎を拾い、育てる。水木はゲゲ郎との「約束」を忘れてるにも関わらず、その「約束」を果たすわけです。最初は「約束」それ自体を信頼していなかったふたりが、最後には「忘れられた約束」なのに叶える。
水木とゲゲ郎の間で交わされた「約束」は、記憶が消えても残っている。ここで示されているのは、知らないままでも交わした「約束」は果たされるということ。それがきっと彼らが得た、信頼と希望なのです。
だから少年の想いは、もしみんなが忘れてしまったとしても、それでもきっといつか叶えられる。
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次回は『劇場版 ポールプリンセス!!』評を予定しております。
この話をした配信はこちらの16分ぐらいからです。
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