STAY POSITIVE!
未来のためのモチベーション
「自分のご機嫌は自分でとろう」という言葉がある。色々な本でよく目にするし、実際の生活の中で耳にすることもある。私も常々そうあろうとしているが、これを実践することに関して、実は自分の気持ちは自分が一番分かっているようで、分かっていないなぁと感じている。
自分で自分にだまされているような気がするのだ。
たとえば、仕事で何だか上手くいかないと感じている時、後で落ち着いて考えてみると、「あぁ、あの時は疲れていたんだなぁ」とか、「いつの間にか緊張が途切れていたなぁ」と気付く。
具体的には、運転時にはアドレナリンが出ていて疲れてない、楽しみ!と思っていても、運転が終わるとどっと疲れるようなものだ。ホルモンの関係なのかもしれないが、自分の感覚的には本当に麻薬のようである。
だから、兎にも角にもまずは一番に自分のご機嫌をとることにした。
結局、考えても分からないものは分からないのだから、あとは気持ちの持ちよう。自分でマネジメントする強い意思が大切だ。同じ出来事があっても、そのときポジティブでいれば積極的な学びになる。ネガティブでも学べるが、心が沈んでいるとひどいときには立ち直れないし、何より前向きな時とは推進力が違う。鬱々とした気持ちでは何も受け取れない。心に余白があって初めて、空いたスペースに「感情」や「イメージ」が生まれる。そうしたところから、「ひらめき」や「芸術」が発展していくのだと思う。
逆に、余裕がなければイマジネーションが全く浮かんでこない。なにか始めようという気にもならない。
目を瞑り深呼吸してから想像してみてほしい。
一つ目のパターンは、あなたの今いる部屋はモノが大量にあふれていて、何がどこにあるのか分からない。タンスの中は服がたくさん。そのとき着たい服を探すのにいつも十分程かかる。やらないといけないことも山積みになっていて、どこから手を付ければいいのか分からない。とりあえず手近なところから手を付けると、〆切の近いタスクが現れてきてがっかりする。
二つ目のパターン。あなたのいる部屋はモノが少なくて、大体どこにあるか目にすればわかる。タンスの中も整理整頓されていて、目的の引き出しを開ければすぐに欲しいものが取り出せる。タスクは緊急度と重要度の高い順に並んでいて、今やらなければならないものはいつまでの〆切なのか分かっているため、余裕をもって計画的に仕事を進められる。
さて、あなたはどちらの部屋に居たいだろうか?私は後者がいい。
とはいえ、人間には迷いがある。人間関係や恋愛などでもやもやしているとき、私は実際に机の上やタンスの中への意識がおろそかになったことがある。また、このもやもやは厄介で、頭の中を占拠してしまう。この時期は創造的な仕事はできないし、生産性も低い。そんな時は、自分でも「イマジネーションできなければ、発展や進歩はない」というどこかで聞いた言葉が頭に浮かぶとともに、このままではよくないと感じた。
先程「余白」という言葉が出たが、最近流行りの断捨離もこれにあたる。生活に余白が生まれることで、精神にも余裕が生まれる様子が「見える化」できて、実際に頭も整理されているのだと思う。型から入るか、気持ちから入るかの違いなのだ。
そういう意味で、禅宗の一派曹洞宗の大本山永平寺で行われる修行僧の厳しい2年間の生活は、これを究極に体現している。
生活のすべてが修行。朝起きるときも、掃除も、ご飯を食べるときも。これはヨガの考えにも当てはまる。生活のすべてがヨガであり、マットでポーズをとることだけがヨガではないとヨガの講師から聞いたことがある。歯磨きをすることもヨガ、部屋を清掃することもヨガなのである。
これらのことから分かることは、生活が整うことで、心も整えられるということである。もし、あなたのメンタルが良くないというのなら、まずは掃除から入ってみると何かよい変化があるだろう。
嘘みたいかもしれないが、私の場合はライブに当選したり彼氏ができるという変化があった。
一度きりの「いま」
「人生に二十一回の猛をせよ」という吉田松陰の言葉がある。武士という特殊な階級に身を置いていた影響もあると思うが、彼は幕末の動乱の時代と本人の高い志が生み出した天才である。
生涯を通して国禁を犯すなどして獄中ですごすことがしばしばあったが、それすらもその先を見通して選んだ道だった。「狂」という言葉を好んで用いたという。
乱世ではこのようなルール破りの傑出した人物が生まれるが、平和な時代ではその真価は現れないだろう。
しかし、「個性」が叫ばれる世の中になった今、みんな横並びにルールを守ることばかりが大切ではないと思う。
また、一度きりの人生をどのように生きるかの選択権は、自分でもっていよう。歴史上の偉人が体現したことは、同調圧力に屈せず、志を通すこと。その薫陶を受けた弟子たちが、明治以降の今の世の中を作っている。こうした時代の寵児から学ぶことは多い。
その時代の影響は大きいと思うが、自由の範囲が広くなった現代社会で、どうせなら一度きりの今を楽しみたいし、今しかできないことはどの瞬間にも必ずある。それなら、落ち込んで下を見つめている暇はないのだ。同じ時を過ごすのなら、思いきり楽しんで自分にポジティブな負荷をかけることが、成長しながら楽しめる自分にとって一番良い方法なのである。(精神科医 樺沢紫苑著『いい緊張は能力を2倍にする』より)
挑戦しないでする後悔ではなく、挑戦して後悔する方を選ぶ。
人生塞翁が馬なのだから、無駄なことは何ひとつないのだ。
一瞬だけでも
先日『コーヒーが冷めないうちに』という小説を読んだ。登場人物は大きく変わらないが、主人公が入れ替わり立ち替わるのでそれぞれ独立した短編集のようにも感じる作品だ。総括してみると、それぞれの人生ドラマがあり、戻りたい過去や見たい未来のある主人公が「コーヒーが冷めないうちに」とある席に座ると一度だけ過去に戻れるという噂のある喫茶店が舞台のお話である。
私はこの手の小説を読むと、過去に戻ったり未来へ行ったりするということは夢のようなフィクションだと分かってはいるものの、登場人物へ感情移入して感極まって泣いてしまうことがあるのだが、今回最後の一話だけそうなって、やっぱり泣いてしまった。
生まれつき心臓が弱く出産することで母体が危険だと言われた女性の妊婦が、「私はこの子に対して産んであげることしかできない」と絶望しながらも、どうしても生みたい。そして、喫茶店のオーナーでもある夫の反対を振り切って未来の我が子が元気なのかを確かめに行くという話だ。
母体が持たないと言われたときに、命がどうとかいうレベルではなくて、子供に何もしてあげられないという一点のみを考え続ける母の愛情に涙が出た。その一瞬だけが見られたら本望だという藁にも縋るような思いがあるということを感じた。
この女性の話以外でも、一瞬だけ、その一度だけが人生の中で本当に後悔だったという気持ちが分かるが、特にこの女性の話では、次に入院したらもう出られないと感じていて、未来を見る機会は今この瞬間しかなかった。
女性は、後悔しないことはできないが、やらないよりやって後悔することを選んだのである。
それぞれの人生で、それぞれの悩みがある。それでも気持ちに「悔いはない」という人生を生きたいと改めて思う。
内容はなんでもいい。地球規模でも、個人規模でもまずはやってみよう。
やらないよりやる。それが心地よい未来のためにできることである。
参考文献:
〇川口俊和『コーヒーが冷めないうちに』サンマーク出版,2015.12.7.
〇樺沢紫苑『いい緊張は能力を2倍にする』文響社,2018.6.1.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?