和歌山とスペインをつなぐ場所、サンティアゴ・デ・コンポステーラ。
かつて「日出ずる国」と呼ばれた日本と、かつて「太陽の沈まぬ国」と呼ばれたスペイン。
今回は、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れたことをきっかけに、両国の交流の歴史を振り返りたいと思います。
ー 日西関係史
16世紀、スペインはフィリピンを植民地化するなどアジアに進出、日本人が出会った最初のヨーロッパ人となります。1549年にキリスト教の布教に訪れたフランシスコ・ザビエルもスペイン人です。
日本から派遣された天正遣欧使節は1584年にマドリードでフェリペ2世に謁見しましたし、支倉常長率いる慶長遣欧使節も1613年にフェリペ3世に謁見しています。
このように、戦国時代から江戸時代初期にかけては、キリスト教や貿易を通じて両国は積極的に交流を深め、日本で南蛮文化を形成するほどになりました。
しかし、鎖国体制により1624年にスペイン船の来航が禁止されると、1868年に日西修好通商条約が結ばれるまで両国の関係は絶たれます。
スペイン内戦や第二次世界大戦中は微妙な関係が続き、正式に国交を回復したのが1952年。
それ以降は比較的友好な関係にあり、観光や文化、スポーツなど様々な面で交流が続いています。
ー 2つの巡礼道
和歌山県とスペインとの間に密接な関係が生まれたのは、1998年のカミーノ・デ・サンティアゴ(サンティアゴ巡礼道)と熊野古道の姉妹道提携です。
ユーラシア大陸の両端にある2つの巡礼道の間に協力関係を築こうと、和歌山から話を持ちかけたのが始まりだそうです。この時カミーノ・デ・サンティアゴは世界遺産になっていましたが、熊野古道はまだ登録されていませんでした。
2004年、熊野古道が世界遺産に登録され、世界で2つしかない〝道の世界遺産〟となりました。
ガリシア州の政権交代により、姉妹道提携10周年となる2008年まで提携の存在が忘れ去られていたというハプニングはありましたが、何とか交流は復活。
(ガリシアでは選挙で選ばれた政治家が自分の周りの職員を選べるので、政治家が変わると下の職員もごっそり変わってしまうそうです)
サンティアゴ・デ・コンポステーラで熊野古道の写真展が行われたり、2つの道を巡礼すると「共通巡礼証明書」がもらえるなど、両者の相互協力は続いています。
雨が多いと言われるガリシア州ですが、サンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街の街並みは情緒に溢れており、とても美しかったです。
また再訪したいと思います。