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愛着障害と明るい未来

(※自分を見つめ直すつもりで書いたら軽度の不幸自慢から始まり、最後はただの自慢みたいな長文駄文になってしまいました。苦手な方は読むのをお控えください)

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私は病気だ、と言いたいのではなく。

なんてこんなに生きづらいんだろう?を調べた結果、自分の特徴が愛着障害のそれに当てはまってることがとても多いと気づいた。

両親は虐待もなくちゃんと世話はしてくれてたけど、比較的厳しめな育児方針だった気がする。

  • 共働き
    日中は不在、祖母に世話になってた

  • よく怒られる
    家事の手伝いや妹の世話を多く課され、うまく出来ないと怒られる

  • めったに褒められない
    ↑の件でクラスメイトのお母さんとかにはいつも褒められたけど、我が家では当たり前なのでえらいの意味がわからない。テレビ番組の「はじめてのおつかい」を見ても、この程度の簡単な内容でも難しい子がいるのか、という感覚

  • 得意なことにも無関心
    テストの点は常に良かったが、これについても褒められた記憶はない。逆に両親が勉強苦手だったので勉強しろと言われることもほぼなく、これにはすごく感謝してる

  • 人と異なることが不安な子どもだが、その心情を一切理解されない
    持ち物等がみんなと違うのは目立って嫌なのに、両親の意見が優先され外見的にも浮くことがあった。遠足の登山でジャージを指定されるも、どうせその後着ないだろうから買い与えられず、当日はひとりだけ動きやすい謎のコーディネート(スパッツとスウェットの中間みたいな全然可愛くない謎ボトムスと可愛くない謎のロンT)

など。

衣食住など基本的な生活はとても恵まれていたけど、家族が心理的に安全基地であるという感覚は薄かったように思える。今では家族仲も良いが、両親ともに育児が苦手だった(仕事が多忙なこともあり、当日は本当に余裕がなかった)と今となって謝られることもある。

今更それらを恨むようなことは一切ないが、それでも私は未だに他人に心を開いたり、自分の存在意義を自分で認識したりする方法がよくわからず、ただ生きることが物凄くつらく感じる日も多い。人を信じて好きになるのも難しく、自己肯定感が低いためいつも大切にされない恋愛ばかりしてしまい、更に自尊心を失う。先日も、彼女にはしてくれないけど自尊心と仕事の知識と女性性の成長を助けてくれる優秀な男性と3年交流した結果、隠してくれと頼んでいた他の女性の存在を目の当たりにさせられてしまい、心を殺されたような気持ちになった。たとえ優秀でも育成には責任が伴う。育てきれないなら手を出すな、ペットを飼うな、たとえたまごっちでさえ、だ。

幸い友人には恵まれ、本当に優しい子らに囲まれているが、みんなそれぞれ人生があるし趣味も性格も違うし、と、どこかで気を使い、自ら積極的に相手を誘うなどはとてもハードルが難しい。それでも誘ってくれる、話を聞いてくれるみんなには感謝してもしきれないが、その感謝を示す方法もわからない。そもそも友人らはそんな難しいことを望んでおらず、楽しい時間が共有できればそんな必要もないのだろう。むしろ、それこそが友だちの醍醐味なのだとも思う。そこまで理解したつもりなのに、なお無駄に考えて勝手に疲れてるのが私である。

人に対する分析や心情の読み取りは比較的できるようになったが、未だに自分のことだけはさっぱりわからない。あの人はこういう特徴があるな、これが得意・不得意なんだな、などは自然と感じ取れる。ただ、自分が何をしたいのかと聞かれると答えられないし、特技を問われたら「空気は読むけど具体的行動は何もできないです」と謙遜ではなく本気で思っている。高校や専門学校の受験時も、進学したくないと言ったら断固拒否され、それぞれ嫌じゃないという理由でなんとなく学校を選び、受験し進学できたが、本当に「苦肉の策」だった。何もできず才能も感じられない、セーラームーンとスパゲティ以外に胸を張って好きと言えるものもない人間が、人生の岐路にもなり得る選択をするのはとても困難なことだった。

幸い、高校では勉強そっちのけで部活に励み、軍隊のような規律のなかで過ごしたので学生ながら社畜根性が身についた(恐怖に対する怯えも増長してしまったが)専門学校では、本当なら大して興味のない映画について学び、と言っても映画好きの子たちとつるんでおしゃべりしていただけだが。今でも中の良い友人は、大半なここで出会った子たちだ。学歴としても学業知識としてもほぼ価値もない、いわば「金の無駄な2年であった」とみんなでも未だに話をするが、生きるために欠かせない支えを得たのとに感謝している。小中学校ではよく軽いイジメの対象にもなったし、逆に小学校でイジメをしていた時期もあるので正直この時点で生きていたくなかったのだが、高校の部活、専門学校、その後の社会人生活をともに乗り越えた友人と経験で少しだけ一般人のツラをできるようには成長した。

なので、自分は一般的だと思っていたが、どうにもしんどすぎるので調べた結果、愛着障害の記事に多くたどり着いた。以前、HSPという単語が広まった際もほぼポイントが一致してたので、当時交流のあった知人にそのことを話したら「お前は普通だ、自分をそんな病気みたいなふうに言うな、大丈夫だ」と、一番悲しい励ましを受けた。自分の生きづらさに名前を付けて理解し、自らで受け入れることすら他人に否定された気持ちになって、もうその人には会わなくなった。私も軽率だったが、ただ話を聞いてほしい、否定しないでほしいという安全基地の構築は簡単ではないのだなと悟った出来事だった。

くよくよしているものの、これまで頑張って生きた結果、留学もできたし、CAにもなったし、劣悪な映像業界でも楽しく働けたし、今では大手企業で役職者として従事している。こう振り返ると、自信ないくせにまるで勝ち組といわれるキャリアだと我ながら驚く(誰かにこの状態で「私は負け組」なんて言われたら、ほんとに辛い人は「うるせぇ黙れ!」って思うから、何も言わないほうがいいんだろうな、とか考えてまた何も言えなくなる負の連鎖)HSPになるきっかけに幼少期の愛着障害も影響してる気がするし、この繊細さと疑い深さがあったから仕事が評価された部分もあると思うし、それを見ていてくれた人が今の上司と未だに遊んでくれる元同僚なので、自分はいつも悲しい顔をしてるけど実はそれなりに愛されてるんだと思う。両親に今の会社に入ることをLINEで伝えたら、案の定未だに誰も褒めてくれなかったけど内心喜んでると思う。この人たち、育児に限らず不器用なんだな。今度会うときはとんでもない高額のお土産を持って帰って、私はすごいと体験で理解させようと思う。

愛着障害特有の生きづらさは未だにうまく拭えないけど、それでも私が生きられるのは、ユーモアあふれる友人らと、不器用な家族と、仕事仲間と札束の支えがあるからだ。すぐにうまくはいかないかもだけど「私はだめなところもあるけれど、意外とイケてるところもあるんですよ」と言える日を目指してもう少し生きてみることにした。

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