
五)薄明かり
薄明かり
熱病はいつまでも続かない。バブルはやがてはじけた時バブルだったと気がつく。
経済の専門家と称される者の中には、株や土地を購入しない者はバカだとさえ言った人もいた。
みんなが走り始めると、止まっているのが誤りだと感じるようになる、臆病者だと言われる。自分だけが取り残されたような気分になる。
こうして、日本全体が冒された熱病はやがて終演を迎えた。
現在、バブル景気の終焉と呼ばれる平成3年(1991年)だが、当時は、終わったと思う人、一時的な踊り場だと思う人、日本全体の強さは何も変わっていないからこのまま成長し続けると思っていた人など様々だった。
乗り遅れまいとしてつかんだバブルがはじけ、手の中に何も残っていないと気づいた人も少なくなかった。普通のサラリーマンですら、何億円もの借金を背負った人もいる。
しかしバブルは終焉を迎え時代は大きく変化した。
つぶれるはずのない大手証券会社が倒産し、銀行もつぶれた。やがて日本社会は、底の見えないデフレスパイラルへと入っていった。
そしてバブルの崩壊から約10年、大手食品メーカーによる大規模な集団食中毒が発生し、BSE問題、食品偽装など、食の安全への関心が高まり、コンプライアンスの尊重が求められるようになった。
大手企業の最新式の機械でも手入れが悪ければ食中毒などが発生するが、彼は「中小企業は、商品の安全が絶対不可欠」という。それは、中小企業にはお客さまのクレームなどに対応するマンパワーや企業体力が無いからだという。従って商品の安全性には最も気を遣うという。
不況の中、日本全体が大量消費の時代から、日本らしい本来の良さを見直そうという機運が高まってきた。伸びない所得をどのように使うのか、大切なものは何なのかが意識されるようになった。
その結果、一見割高であっても良い物、安全な物、安心できる物が求められ、人の生活の根本である食の安全にも関心が高まった。
愚直なまでに地域の安心できる素材、丁寧な手作りの別子飴本舗の商品の売れ行きがようやく伸び始めた。