山田方谷の改革を企業経営として見る(その5)六次産業化
5.六次産業化
名君として名高い米沢藩の上杉鷹山は、方谷の改革よりも約70年前に藩の財政改革に取り組み、米沢藩としてその改革は100年近くにも及んでいます。こうした改革を方谷が知らないはずも無く、参考にしたと考えられます。この米沢藩の改革は上杉鷹山の死後も続けられた息の長いものでしたが、逆に言えばそれだけ長期間になったのは、その内容は、漆、桑、、紅花、藍の栽培などであったからではないかと考えられます。
山田方谷は、漆、茶、竹などが主な生産物であった備中松山藩で、米沢藩のように一次産品だけを生産していたのでは長い年月がかかると分かっていたのではないでしょうか。
現代のわが国では、農林水産業の六次産業化という言葉を耳にするようになりましたが、方谷は当時、どこに富が集中しているのか、それはなぜなのかを考えれば、一次産品を商人に引き渡しても大きな利益は得られないと確信していたと考えられます。そこで、一次産品から二次産品に、そしてそれを直接販売するというまさしく六次産業としての経済活動を実施したのです。
また、お金の感覚にすぐれていたとすれば、同じ産品を、どこでいつ販売するのかについても、その違いが利益の大きな違いを生み出すこと、そして備中ブランドを構築し、付加価値をつけることによって、大きな利益を生み出せると分かっていたと考えるべきでしょう。
山田方谷の改革と、上杉鷹山の改革とはよく比較されていますが、この上杉鷹山の改革が始まる頃、この米沢藩と同じ現代の山形県の酒田市には、坂田五法と呼ばれ現代の相場でも使われる手法で、江戸、大阪の米相場で大きな利益を出し一代豪商になった本間宗久がいます。
方谷は、上杉鷹山の改革とともに、相場の重要性を理解していたと思えます。
■プチ用語集(追記)
名君(めいくん)
偉大な統治者、優れた指導者
米沢藩(よねざわはん)
江戸時代の日本の藩(行政区)、現在の山形県米沢市を中心とする地域
上杉鷹山(うえすぎようざん)
江戸時代の米沢藩主で、財政改革で有名
藩(はん)
江戸時代の地方行政区分、領地
財政改革(ざいせいかいかく)
財政(お金の管理や使い方)を見直し、改善すること
息の長い(いきのながい)
長期間にわたること
漆(うるし)
樹液から採れる塗料、漆器の原材料
桑(くわ)
木の一種、蚕の餌となる葉を持つ
紅花(べにばな)
植物の一種、染料や化粧品の原料となる
藍(あい)
植物の一種、青い染料の原料となる
備中松山藩(びっちゅうまつやまはん)
江戸時代の藩、現在の岡山県高梁市周辺
六次産業(ろくじさんぎょう)
一次産業(農林水産業)、二次産業(製造業)、三次産業(サービス業)のすべてを一体化させた産業形態
二次産品(にじさんぴん)
原材料を加工して作られる製品
付加価値(ふかかち)
商品やサービスに新たに加わる価値
坂田五法(さかたごほう)
江戸時代に開発された米の相場取引手法
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この記事は、「知的資産経営の実践」大学教育出版 2014年初版から抜粋・加筆して記載しています。データ等は当時のものです。