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爆音オペラ育ち限界集落編

小さい頃のことはあまり覚えていないけど、目覚めは爆音オペラだったことは時々思い出される。
朝、先に目覚めた父親がレコードをかける。5,6歳児の背丈くらいあるスピーカーがいくつかあり、そこから爆音が流れていた。
テレビ画面にもだいたいいつもオペラが映っていた。オーケストラやバレエも多かった。衣装や舞台美術の美しさに心が和んだ。

二階のリビングには、水色の絨毯とアールデコみなシャンデリアが設えられていた。シャンデリア付近の天井は装飾されていて、部屋全体としては少しロココみもあった。私はそのシャンデリアと天井のデザインをとくに気に入っていた。
あれは祖母のデザインだったのかな。
一階の応接室はおそらく祖母がデザインしたはずで、その雰囲気と近い。でもさすがに父かもしれない。そうであってほしい。自分達のスペースくらい自分でデザインする自立心はあってほしいものだ。そういえば、電話は水色で、絨毯のカラーと合わせてあったし、カーテンは深いグリーンで、その組み合わせも美しかった。
—考えるほど、祖母のデザインとしか思えない。おばとの合作なのではないだろうか。

二階の和室の襖には、祖父の書が一面にほどこされていてなかなかかっこよかったな〜。いまは増築されて不恰好だが、新築当初は建物の外観もシャープだった。庭のデザインも美しく、祖父母が元気な頃は草花の手入れは行き届き、玄関の生け花も絶やされなかった。

諸々珍しいことではないかもしれないけど、限界レベルド田舎では結構稀なことだったのかもしれない。祖父母があの家を建てた頃、あの辺りでは相当モダンだったときく。
私は今でもシャンデリアが大好き。
今の部屋の照明も自前のシャンデリアだ。


演目や曲名は殆ど覚えていないけど、交響曲の場合はだいたいいつもモーツァルトだった。当時私はモーツァルトがあまり好きではなかったから、趣味が合わないな…と思っていた。
(バッハのインベンションをながせ、チェンバロを聴かせろ)
ずっとクラシック音楽ばかり聴いたからかJ-popに興味がなかった。と、書いて思ったけど、単純にクラシックが好みで、特性に合っているんだろうと発達心理を学んだいまは思う。生まれる前から聴いているし(胎教的な意味で)、寝かしつけもそうだったのだから相当馴染みもあったんだろう。
とはいえ、思春期くらいから社会適応のために多少J-POPも聴きはじめた。でも、やっぱりあんまりが興味がなかったから周りと共有できるものは少なかった。
小5から仲良くなった幼馴染は、自宅がピアノ教室だった。私は別のお教室に通っていたけど、今思えば彼女の存在は趣味嗜好の面でもかなり助けられたなぁと思う。突然マティスの話をしてくるド田舎中学生、同時に岡田あーみん作品の布教に精を出す女—最高じゃん。そういえば、彼女のいとこは著名なJ-POPミュージシャンだ笑


もう実家に足を踏み入れるつもりは一切ないけれど、あのシャンデリアと水色の絨毯、応接室、アールデコみの家具たちを直接みること、お気に入りだったトマト模様のマグカップを手に取れないことは悲しいと思う。

近々帝国ホテルでお茶でもしようかな。ライトに癒されたい。ガルガンチュワのクッキーは最高だしね。


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