主語が無い責任の行方
お久しぶりです。
最近、日本の政党になるべく立ち上がった
政治団体が発足しましたね。
知らない?
知らない人は何故、知らないのかを
調べてみてください。
あえて政党名は書きません。
で
数年前から気になっていたのが
各政党のキャッチコピーです。
主語が無い!
主語。。。。。。述語。
という基本的な日本語の構図。
私は国語の教員でも何でもないです。
そして自分が文法に忠実な日本語で
ブログを書いてるとは言い難いのですが、
気になって仕方ないんです。
それは
日本の政党のキャッチコピーだからです。
政党に入ってない議員の方で
。。。。。。。。主語。述語。
という漢文的な文法を使われている方も
いらっしゃいますが
(ただ私は気になる)
それでも主語があると
なんか、やってくれそうな気がします。
政党のポスターを見ては
『誰が??』
と独り言を言う婆さんがここにいます(笑)
主語が無ければ責任を
何処へでもなすりつけることが出来ます。
あわよくば国民へも。
『美しい国 日本』
と拳を握られた亡き安倍晋三元総理の
キャッチコピーは名詞であり
主語述語は必要ありません。
なので
『美しい国 日本』
にするんだ!とか
へ取り戻す!とか
苦しく息巻く様な焦燥感が無くて
私は好きです。
『美しい国 日本』
と言う言葉が蔓延するだけで
実は『美しい国 日本』となる
日本語本来の力が宿っているからです。
『美しい国 日本へ』
と表示されてる事もあります。
これも主語は無いから
誰が?と突っ込みたくなります(笑)
ですが今は美しい国では無い!
という
今の現状に気付いて欲しいという
お知らせも兼ねてると感じます。
私か気になるのは政党だけです。
かなり偏見は有りますがご容赦を!
ハッシュタグや会社や商品のキャッチコピーはそれを創るセンス次第。
全く気になりません。
それは主語の必要性を感じないからです。
生命は魂ありき!
息をしていても
奴隷であるなら
自分の生命では無いという意味です。
この乱世を生き抜け!
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