高所恐怖症でもジェットコースターと飛行機は怖くなかったお話
最近、私にしてはなかなか忙しい日々を過ごしていた。なんといっても就活関連のイベントが22日間連続していたのだ。その中には約2週間のオーストラリアでのインターンも含まれている。(これがタイトルの飛行機のお話、だいぶ後の方に出てくる)
修士1年生として、学部の時には逃げていた就活にそろそろ向き合うときが来たのだろう。あまり乗り気ではないスタートだったが、やってみるといろいろな発見があって、逆に今だからだこそいろいろな企業について知れるというか、ある種今の立場でしかできない社会勉強をしているのだなあという感覚だ。
さて、別に就活の話を長々してもしょうがない。今回は私の高所恐怖症についてただ語ってみる回だ。ひたすら脱線しながら書いていくが、我慢して読んでほしい。
昔から高いところは苦手だった。小学校の時だったか、家族で旅行に行った白馬山のロープウェーで絶叫&号泣したのは今でも思い出すし、小学校5年生の時の移動教室(練馬区は宿泊学習のことを移動教室と呼ぶのだ)で登った物見石山のガレ場でビビり散らかした挙句、当時好きだった子に馬鹿にされるなどの濃ゆい経験もある。(下の方のブログのに画像がありますが今見ても個人的には怖い)
ちなみに私は悪夢をよく見る、というか体感的には見ている夢の9割が悪夢なのだが、その中で高いところから落ちて死ぬ夢というのが三分の一程度を占めているというほど高いところが嫌いだ。
ちなみにちなみに私は地震恐怖症でもあり、高いところから落ちる夢の半分くらいは地震とセットだ。よくあるパターンとしては、何らかの理由でビルの屋上に出る羽目になり、その屋上になぜか柵がなかったり、あっても非常に低かったりして、その瞬間地震が来て振り落とされるやつだ。これが多い理由として六本木ヒルズタワーの屋上に連れていかれた一週間後に3.11が起きたこともあるかもしれないし、祖母宅が32階にあり、幼いころベランダで抱っこされて揺らされて怖かったりした経験を今でも忘れられないことが原因かもしれない。このせいで現実でも高い建物に入るときは、無意識に地震が起きた場合のシミュレーションや避難経路を想像してしまう。
そんな私は高校時代山岳部に所属し、雨の中で槍ヶ岳の頂上を目指すなど、わざわざ高所恐怖症を発動させにいっていた面もある。まあ実際のところ雨の時の方が怖くはなかったのだが。
というのも雨の中槍ヶ岳に登ったのは高校1年生の時の話で、翌年も夏に槍ヶ岳に行ったのだが、その時はとんでもなく快晴だったのだ。つまり、下が非常にクリアに見えてしまうわけで、それが非常に怖かった。というか、1年の時はすべて霧の中で下が全く見えなかったから、手を滑らさないように集中するだけで、あまり高所恐怖症は発動しなかった。360度青空と眼下に素晴らしい景色が広がった2年次の方が、安全なはずなのに周りをなるべく見ないことに必死で大変だった。このことから私の高所恐怖症はあくまでも視覚による部分が大きいのではないかと感じている。
まあ3年間山を歩いたおかげで山での恐怖症は少し和らいだ気がする。今は山はそこまで怖くなくて(卒業してから高い山に行ってないからかもだが)、人工物でのみ恐怖症が発動しやすいと感じている。山は自然のどっしり感があるがタワーなどはそうでなく、不安を感じるのだ。特に横浜マリンタワーが怖く感じていて、小さいのにバランスが悪そうな見た目が恐怖を増大させているのかもしれない。
さらに私の高所恐怖症で特殊かもしれないと感じるのは、ジェットコースターが平気であることだ。遊園地で一番怖いのは観覧車とお化け屋敷である。
お化け屋敷は高所恐怖症的には関係ないので軽くだけ触れるが、なぜ嫌なのかと考えてみると、本当に怖いのに怖いといえない圧力があるからだろう。多くの場合怖がるとからかわれるのでそれが嫌だという単純な理由かもしれない(プライドが高いのかな)。もちろん、お化けを信じて怖いとかでなく、単純にドッキリをしかけられるのがめちゃくちゃ苦手なのだ。
さて観覧車だが、なんといっても時間が長い、そしてゆっくり上がっていくというのが最高に恐怖症を発動させる要因だ。特に風が強い日に乗った日には、顔面蒼白になって、全身が痙攣しているみたいに震えるほど怖い。普段は高いところが平気なはずの同乗者まで恐怖を感じてきてしまうほどの反応を引き起こす。ミラーニューロンの効果なのか、あまりにも恐怖を感じている人が目の前にいると、共感して怖くなってしまうのが人間という生物なのかもしれない。
上がっていくときだけに怖いというのはもしかしたら少し特殊かもしれない。なぜなら逆に半分を超え、下り始めてからはあまり怖いと感じないからだ。私の仮説としては、上りはより危険な方に近づいていくので怖いが下りはより安全に近づいていくので怖くないというものがある。こういうバイアスは人間につきものかもしれない。
こんなに怖いのに観覧車についつい乗ってしまうというのも私の特徴であり、無事観覧車から降りた後はこの上ない安どと安心感に包まれることができて、もしかしたらそんな感覚を求めているのかもしれない。
さて先ほど述べたように私はジェットコースターはほとんど怖くない。怖いとすれば、初めにゆっくりと上がっていく時だけだ。これは観覧車と同様の理由による怖さである。多分、私は浮遊感による恐怖はほとんどない。単純に高いところが怖いのだけなのだ。ジェットコースターはいざ加速してしまえばあとは怒涛のように振り回されて興奮と楽しさで頭がいっぱいになるので、恐怖心を感じる余地がない可能性もある。
逆に観覧車が平気でも、ジェットコースターが嫌いな人というのも多くいて、そういう人は浮遊感が苦手なだけなのかもしれない。
さて人生3回目の飛行機に乗った話だが(ようやくだ)、飛行機に良く乗る人によるとかなり揺れたらしい(普段がわからないので何とも言えない)。でも、正直全然怖くはなかった(ウソ、言い過ぎた。少しは怖かった)。
この理由としてはまず、飛行機事故で危険なのは離陸後3分と着陸前8分と知っているためだろう。つまりそれ以外の安定飛行中にいくら乱気流に遭遇しようとも別に怖がる必要はないのだ。そして私は浮遊感そのものには怖さを感じておらず、さらに夜だったりすれば視覚的にも怖くはない。また昼だとしても飛行機ほど高いところを飛んでいればもはや現実感が薄れてくるため、あまり怖くないことを感じた。
この現実感に関していえば、例えば東京タワーやスカイツリーの1層目ではかなり恐怖を感じたものの、スカイツリーの2層目ではそこまで怖さを感じなかったりする。いつかブルジュハリファにも行ってみたいと思っている。
離陸、着陸の時の怖さに関しても、離陸であれば加速していくワクワク感でジェットコースターのように早く過ぎ、着陸に関しても観覧車と同様安全に近づいていく感覚により、あまり怖がらずに済んだ。
私は3歳の時にスイス、高校1年のときにオーストラリアに行き、それが今までのすべての飛行機経験だった。つまり国内旅行は全て電車か車だ。今回を機に国内旅行でも場合によっては飛行機を使ってみようかなと思った。なんといっても私は網走に旅行に行くのにずっと電車で行くほど飛行機を避けていたが、思った以上に怖くないことが分かったからだ。とはいえ、余り先々の計画を立てることが嫌いで、思いついたときに急に旅行に行きたくなる私にとってはおそらく飛行機は割高なのでその点で躊躇するとは思うが。
というわけでとりとめのない感じではあったが、私の高所恐怖症について語ってみた。今回文章にする形で自分の恐怖症を深掘ってみたわけだが、原因などを考えてみると面白い。高所恐怖症に限らず、自分の怖いものを考えて分析してみるのは結構楽しいかもしれない。