「私が私であること」を考えたことはありますか?

どうもSGです。今日は問いかけです。

最初にこの問いを考えたのは、いつだったか覚えていませんが、おそらく小学生高学年ごろだったでしょうか。

「私が私であること」について、なぜそうなのかということです。

こう書いても分かりにくいかもしれません。この問いが浮かんで以来、時たま友人にこの話をしてきたのですが、よく理解されなかったり、あまり真剣に扱われなかったりしてきたのです。

あまり普遍的なものではないと思ってきたこの問いは、実は哲学的に有名なものであるという事を最近知りました。

Wikipediaにも 「なぜ私は私なのか」というページがあり、この問題に対する議論の概要が示されています。

なぜ私は私なのか」(なぜわたしはわたしなのか、英:Why am I me ?)は哲学の一分野である形而上学、または心の哲学の領域で議論される問題のひとつ。この問題は様々な形で定式化されるが、最も一般的には次のような形で表される問題である。

世界中に今現在、沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてきて、これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。しかしそれにも拘らず「なぜは他の誰かではなく、この人物なのか?」(Why am I me, rather than someone else?)

この問いには色々な名称がある。たとえば「私の問題(わたくしのもんだい)」、これは日本の哲学者永井均が使用する山括弧付きの〈私〉という表記法を使って「〈私〉の問題(やまかっこわたくしやまかっことじの-)」と表記されることもある。またオーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズが提出した「意識の難問(The Hard Problem of Consciousness)」という概念と対比させて「意識の超難問(The Harder Problem of Consciousness)」[1][2]と言われることもある。また、問いの内容が「なぜ今、ここなのか?」というものであることから、「今・ここの問い(いま・ここのとい)」と言われることもある。

日本のいくらかの心理学者たちは、この問いを心理学的な観点から研究している。といっても哲学者たちがしているように思索を通して問いを論じている、というわけではなく、この問いを発する人間の心理状態について、アンケートや聞き取り調査などを通じて統計的・科学的に調査・分析する、という形で研究を行っている。こうした心理学的な研究の文脈の中においては、「なぜ私は私か?」といった問いを発する心理状態・経験のことは「自我体験(Ego experience)」と呼ばれている[3][4]

Wikipedia

まさに私が抱いていたのと同じ疑問です。

私の肉体に脳という器官があって、それが世界を認識するシステムのようになっていることは理解可能です。
しかし、「自分が一貫して存在していてこれは自分の意識だと思いながら生きている私の意識そのもの」はどうしてこの肉体に宿り、他の人間や他の時代に生きた人間に宿らなかったのだろうか、ということです。

と、書きながら調べていたら、前野隆司さんという方がより分かりやすく説明してくださっていました。非常にわかりやすい説明なので、是非。

考えれば考えるほど、奇跡のような、何か深淵に触れるような、気の遠くなるような感覚に襲われます。

どうやら大学生の10人に1人がこの種の問いに出会っているそうです。意外に高い確率だと思います。

どうやら哲学的にも答えが出ていないそうですが、皆さんはこのような疑問を持ったことがありますか?

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