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私のラグビーファン歴①

ラグビー観戦を趣味としている私だが、正直言ってこんなに面白いスポーツはほかにないとまで思っている。世間では、野球やサッカーの方が人気なようだが、少なくとも私からすれば、断然ラグビーが面白い。

受験生時代にラグビーワールドカップ日本大会が開催されたが、2日間にわたって行われた志望校の模試を1日さぼって決勝戦を観に行ったくらいには大好きだ。

今回はそんな私のラグビー好き遍歴を振り返ってみる。

最初にラグビーをきちんと観たのは、小学2年の頃だったと思う。父に連れられて、日本ラグビーの最高峰であったトップリーグ(現リーグワン)のトヨタ自動車ヴェルブリッツ(現トヨタヴェルブリッツ)の試合を観に行った。当時は名古屋に住んでいたので、ホームゲームだったはずだ。

当時のトヨタには、オレニ・アイイという選手がいて、華麗なるステップで敵を突破していくプレーがとても魅力的だった。

ほぼ同じころ、『インビクタス/負けざる者たち』という映画をこちらも父に連れられて観に行った。これはアパルトヘイトが撤廃された直後、ネルソンマンデラが初の黒人大統領になった当時の南アフリカの話だ。まだ黒人差別が根強く残っていた状況を描く非常に意義深い映画であり、是非皆さんに観てほしいと思う。

さて、ラグビーの南アフリカ代表と言えば、2023年ワールドカップの優勝をもってワールドカップ優勝回数が単独トップの4回となった、世界最強チームといってもよいだろう。

実は、南アフリカは当時からあのオールブラックスにも勝ち越していたほどのラグビー大国であった。しかし、アパルトヘイトへの批判によりラグビーの国際舞台から排除されていたため、1987年から始まったワールドカップの第1回、2回大会には出場できていなかった。

マンデラ大統領の下迎えた1995年の第3回大会は、南アフリカの復帰大会であり、自国開催の大会だったのだ。その大会で、国歌に黒人の歌も白人の歌も組み合わせ、ラグビーから排除されていた黒人選手もチームに加わり、虹の国となることを目指した象徴としての南アフリカ代表=スプリングボクスが優勝を飾るのだ。

インビクタスは、そんな内容を描いた映画であり、もちろん当時の私には深い背景知識はなかったのだが、映画の影響力はすさまじく、トヨタのジャージの色と南アフリカ代表のジャージの色が似ていたこともあって、トヨタのrレプリカジャージを着て雨の中ラグビーボールを蹴りまくるわ、TVで試合がやっていればかじりついて観るわと、まさにラグビー狂になったのだ。

ここまででおわかりのように、ラグビー観戦が大好きな父親に見事に洗脳されたというわけだ。(日本でラグビーをほぼ独占的に放送してきたJ SPORTSは我が家において常に契約されていた)

2010年に名古屋から東京へと引っ越した後は、小学3年から中学3年までラグビースクールに通い週1ペースでラグビーをプレーしていた。そんな関係もあって、実は2011年のワールドカップNZ大会の1年前記者会見に出席したりしていた。

写真が、スポーツナビの『世界に見せる、日本ラグビー向上の証しとは?=ラグビーW杯1年前会見』という記事に出ていた。

左端がジョンカーワンHC(当時)、ボールを持っている少年が小学3年の私、右端が田中史朗選手

ちなみに当時の日本代表ヘッドコーチは、ジョン・カーワン氏であり、NZ代表オールブラックスの伝説的WTBだ。1987年第1回ラグビーワールドカップ優勝メンバーであり、イタリア戦で決めたトライは超有名だ。身長が192cmもあり、近くで見上げたら首がもげるかと思ったのを覚えている(笑)ちなみに田中史朗選手はSHというポジションで小柄。166㎝だったがそれでも間近で見た身体の鍛え方はすごかったしパスも性格だった(当たり前)

ただ、そのワールドカップは、日本は1分3敗でプールステージ敗退。特に必勝を期したトンガ戦とカナダ戦のために、世界最強と言われるNZ代表オールブラックスとの対戦でメンバーを"温存"し大敗したことは印象的だった。日本ラグビーはやはり弱いのだなあと子供ながらに痛感したのだ。なんといってもワールドカップでは1991年の1勝と2007年の1分けのみであとは全敗だったのだ。

その後、2015年で南アフリカを破り、2019年は4連勝で決勝トーナメント進出を決め、2023年でも決勝トーナメントを逃すも2勝2敗と、着実に強化が進んだのは、当時の私からすると全く考えられないことだ。

長くなりそうなので、今回はここまで。


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