[深刻]裁判への誤解
みなさんこんにちは、SGです。
私は授業が終わり、試験が終わり春休みとなりました。オミクロンが拡大する中、家で過ごす日々が続いて欝々としております。
こういう状況が続くと、どうしてもネット空間にいる時間が増えます。例えばTwitterなどのSNSやネットのニュース記事もその中に含まれます。
ネット空間では、日々大量の言説が生み出されては消えていきます。それを見るにつけ、いろいろと疑問点などが浮かんでくるものです。今回は、その中で最近どうしても気になる裁判というものについて考えてみたいと思います。
初めに申し上げておくと、私は法律について詳しいというわけではまったくありません。大学でも法律の授業を取ったことはありません。その意味で裁判についても素人です(傍聴には数回行ったことはありますが)。
では、なぜそんな私が裁判について書くのか。それは裁判というものについて根本的な誤解を持っている人が非常に多いのではないか、とネットを見ていて感じたからです。そしてその根本的な誤解は、法律の知識を学んだか否かに関係なく知っているはず(べき)ものだからです。
核心をズバリ述べますと、裁判結果がなにかの真実を保証するわけではないということです。言い換えれば、無罪であることが犯罪を犯していないということが真実だと認めるわけではなく、有罪であることが犯罪を犯したことが真実であると認めるというわけでもないということです。
前者についてはもっとも当たり前です。推定無罪の原則というものがありますから、疑わしきは罰せずの判決となるということです。簡単に言えば、犯罪を犯した可能性が高そうだけれども、決め手となる証拠がないという場合は無罪となるということです。これは法律の基本的な精神であり、真犯人を有罪にできなかったとしても冤罪を生み出してはいけないという考えの元で法律、裁判は作られているということです。無罪であった場合、犯罪を犯していないとしてその人を扱うことが当然でありますが、その人が100%犯罪を犯していないということにはならないということです。
後者については、その裏返しのようなものです。決め手となる証拠というのが本当に決め手かどうか、真実かどうかというのは極めて微妙な問題です。現実的には本当のところ真実はどうかわからないが、複数の傍証から有罪とすべきと判断されることはあります。それがゆえに過去に冤罪となってしまった事件が実際にはありますし、そうと認められていないものにも冤罪の可能性がないとはいえないでしょう。ここについては日本の裁判における問題点等もいろいろ指摘されているところではあります。いずれにせよ、有罪とされた場合は真犯人として扱うことが当然とはなりますが、(知り得ない真実として)本当にそうとは限らないということです。
以上のことは原則として理解しておく必要があります。
これらのことへの理解が欠けている言説として、無罪判決が出たときに被害者が嘘をついているという書き込みをしている人、一審で有罪判決が出たときにここぞとばかりに口汚い言葉で書き込みをする人をよく見ます。
前者については、仮に被害があっても真犯人が別人であったり、証拠が不十分であるということで無罪となることは十分あります。そしてそれは裁判として非常に健全な在り方です。後者についても一審判決が逆転することはしばしばありますし(それほど有罪無罪というのは揺らぐものということ)、その結果のみをもとに何を書いてもよいというのは品位を疑われるでしょう。
と、ここまで述べてきましたが実はこれ以上にマズい思い込みというのも実はあるのではないかと思います。
それは、逮捕=犯人のように書いている人、発言している人が意外に多いということです。
おそらくそのように指摘すると、「そうは言っていない」と否定されるでしょうが、少なくともそういう印象操作を行うような書き込みは散見されます。
確認のために述べますが、容疑者というのは法律用語ではありません。容疑者はマスコミの報道などで良く用いられますが、犯罪を行った可能性がある者を指します。無罪のあなたや私であっても疑われれば容疑者として呼称されうるということです。法律的には捜査機関による調査を受けている段階で被疑者となり、検察により書類送検されれば被告人となります。
そして最も重要なことは、ここでも推定無罪の原則です。捜査されようが、逮捕されようが、書類送検されて被告となろうが、その人は(その時点では)無罪なのです。これは、どんなにその人が犯人であるということが明白(と思われる)場合でもです。
百歩譲って有罪判決が出た人を非難することはあったとしても、逮捕時点、裁判の時点で疑われている人を批判することはあってはならないのです。
もちろん罪を憎んで人を憎まずではないですが、あったとされる犯罪行為についてそのひどさを批判することは普通のことだと思います。
様々な形の被害があった場合、被害者の心配をすることは人間として自然な心の働きですし、いわゆる’被害者叩き’のようなものは全く容認されません。しかしながら、被疑者や被告人を犯罪者扱いすることはそれとは全く別物です。
現実はどうでしょうか。逮捕された瞬間にニュースで大きく報道され(それ自体はいいとして)、多くの人はその人を色眼鏡で見るようになってはいないでしょうか。私たち自身はどうでしょうか、無意識的にその人が悪人であると決めつけてはいませんか?内心の自由がありますからそう思うことは自由としても、マスコミなどの報道によってそう思い込んでいる(ある意味では洗脳されている)ということはないでしょうか。被疑者、被告である(であった)という理由でその人の権利が侵害されている(不利益がもたらされている)ことはないでしょうか。現実にはまだまだゆがみがあるように思います。
裁判というものは、しばしばニュースで話題になり、ネットでもよく書き込みされることでもあります。それ自体は悪いことではありません。しかし、裁判に詳しくなくても知っているべき最低限の知識(上記で述べたこと)さえ持たずに(あるいは意識せずに)、作り上げられていくおかしな容疑者叩き、被害者叩きといったもの。これらは本当に数多くみられます。
今回私が述べたことは新奇なものではなく、極めてベーシックな当たり前の考えです。しかしいまだに誤解は広がっていると感じたので今回はこのような記事を書きました。裁判が正しく行われ続けることを祈るとともに、こういった誤りも早く是正されるべきだと強く感じます。