炎上にうんざりしませんか?
最近、いやもう結構前からかもしれないが、ネットで拡散→炎上という流れがかなり当たり前になってきた。
直近では、回転寿司屋での下品な行為だとか。動画で拡散されトレンド入りまでする始末。
もちろんやっていることは非難すべき犯罪行為なのだけど、それを面白半分で叩いて拡散している人の品性も、同じくらい下劣だと思ってしまう。
インターネットができたとき、建設的なプラットフォームとしての期待があったが、現状どうなっているか今一度考えてみたい。何か間違っているのではないか。
最近の社会は多くの人が鬱々としている。もちろん、コロナ、不景気、世界情勢の悪化とかいろいろ理由があるだろう。ただ根本的な問題は人間関係の希薄さにつきるのではないかと感じる。
例えばどんなにひどい世界でも、仲間がいれば耐えられる。そんなことは多いんじゃないかと思う。
少なくとも、今よりもっともっと不便な環境で生き抜いてきた先祖がたくさんいるのだ。その人たちがそのせいで不幸だったかといわれれば、そうとはいえまい。むしろ濃厚な関係性の中での幸せは失われているのが現代の生活。そう思う。
もし、インターネットが存在せず、そんな仲間がいたならば、今回のような炎上行為は起こらなかったのではないか、と夢想する。
まず、それをとことん本人のためを思うからこそ注意する周囲の関係性があり、そこで反省して改心できる可能性が高い。
特に今回のような問題に関していうのであれば、ある意味「知らぬが仏」的な気分の問題である。したがってそこまで大事にならずに解決していたと思われるのだ。古来から若者は過つものである。
もちろんそのまま許されるわけでなくとも、理解ある大人のもと、店でタダ働きで償うとか、そういう解決もあったのではないか。
加えて、濃厚な関係性が社会に広がっていれば、そんな他人のことにかまって叩きまくるといった現象が起こりにくいと思う。結局のところ、正義の側に立って糾弾してカタルシスを得ることが目的になっているような人があまりに多いと感じるからだ。
そんなつまらないことでしか楽しみを見出せない社会はやはり異常だろう。
本当にきちんとした道徳心をもって正しい行為をしている人物は、誤った行為をしている人物を教え諭すものだと思うのだ。被害を受けた側が法的に対応するのは当然だが、あまりに私刑のような形で炎上を広げるだけの行為はいい加減にすべきだ、と思うし、そういう行為をしている人は同じくらい道徳的でないと思ってしまうのだ。なにより被害を受けた側の被害は、そういった炎上によってこそ拡大しているのだ。
そんなつまらないことばかりに関わらず、抽象度を上げ、時間・空間的に視野を広げ、皆が本当に幸せに生きられる世の中を模索するのがずっと建設的だろうと思うのだが。
SG