要領をよくする方法とは
要領がいいよね、と言われることが時たまある。
前提として断っておくと、これは勉強とかデスクワーク的なもの、もしくは物事の考え方についてであって、具体的な手作業をするとか、そういうものではない。
ちなみに私自身が要領がいいな、と思う人は、そういう人ではない。家事のような手作業がパパっとこなせたり、人間関係を軽やかに乗り切っているような人だ。結局人は、自分がそこまで得意じゃないことを難なくやってのけていそうな人に「要領のよさ」を見出すのだろう。
私自身は、未だに靴ひもを結ぶのさえ苦手なレベルの不器用なので、割りばしをきれいに割って箸袋をきれいに折りたたんでいる人を見るだけで感動する。折り紙なんてきれいに半分を折るのがまず大変なのだ()
また、勉強とかデスクワーク的なもの、もしくは物事の考え方に関してであっても私よりよほど要領のいい人は掃いて捨てるほどいるのをたくさん見てきた、決してそこでとても優れているという自己意識はない。
ただ、私から見て、もっと要領よくやったらより活躍できそうなのにな、、という人が多くいるのもまた事実である。また、努力が正義、頑張ることが正義、と言って、要領がいい人に文句を言うような人も中にはいる。
そこで今回は、要領をよくする方法について私見を述べてみる。
まず、要領がいいことをもう少し具体的に定義してみたい。今回の記事では、要領よく物事を行うことを「ある目標状態にたどり着くための自身の努力を最小化すること」とする。
つまり勉強で言えば、テストで80点を取ることを目標とするなら、最小の努力で80点を取るということになる。
そう考えると、要領をよくするというのは、『「ある目標状態にたどり着くための自身の努力を最小化すること」ができるようになること」』である。
そう考えてみると、要領がよくなるための第一歩にして結論たる考え方が見えてくる。それは要領をよくしようと徹底的に考えるということである。
当たり前に聞こえるかもしれないが、多くの人がこの時点で躓いているように私には思えてならない。何かの目標を与えられたときに、しっかり頑張ろう、言われた通り正当に努力しよう、と考えてしまうのだ。例えばテストで80点を取ることが目標なら、教科書をしっかり読もうとか、ノートをしっかり取ろうとか、そういう具合に単純に考えるのである。ここが一番の問題点である。
先ほどの定義にのっとれば、要領をよくするためには、自身の努力をより小さくできる可能性を徹底的に検討しなくてはならない。なぜなら努力を最小化することを目指すのだからだ。生半可な方法で満足してはいけない、徹底的に努力しないように努力するのだ。逆説的に言えば、そこに努力を全振りする勢いなのであるから、ある意味自己矛盾ともいえるがここではそんな野暮なことは言わない。
そうそう、だからここで狭義の努力を定義しておく必要がある。これは本質的には各個人によって違うものである。例えば、勉強が好きな人(そんな人もたまにいる)にとっては、勉強が努力にならないのだから、普通にしっかり勉強して満点を取ってくれればよいのだ。今回の勉強の例では、私なら勉強は好きじゃないという前提で、努力量=テスト勉強の量=テスト勉強をしている時間、と定める。
さて、このような前提を置くと、テスト勉強をしている時間を最小限にしながら、目標状態である「80点を取る」ことを達成するということになる。
ここで徹底的に考えるフェーズに入る。この時点ではいろいろな発想があり得るわけだが、私の場合は、テスト当日に80点を取る能力を持つ脳を育成するということを考える。
単純なので暗記科目である社会を考えるとすると、まず最低限覚えなければならない用語の範囲を考える。その際には過去問で正答率が高い問題など80点を取る人なら解けそうな問題ができるようになることを考える。あるいは、参考書で赤字の部分だけを徹底的に覚えて、まず60点を確保することを考えるのもいいだろう。とにかく重要なところだけを対策していくということだ。
やってはいけないのは、とりあえず漫然と教科書を読んでマーカーするとか、ノートにひたすら書き写すといったやり方だ。あくまでテスト当日に80点を取る能力を持つ脳を育成することを最小限の努力で実現するのだから、とにかく最低限必要なものだけに絞って、そこを他の物を見ずにアウトプットできるようなトレーニングをする必要がある。
とにかく、より努力量を減らす方法はないか、もっと楽にできないか、ということを常に考えて、それを実践していくことが重要だ。もちろん初めのうちはうまくいかないかもしれないが、実践して得られた結果に対してしっかり分析を行って改善すれば、次回のテストではより要領の良い方法が見つかるはずだ。
今回はテスト対策について考えるnoteではないので、これくらいにしておくが、様々なものごとにおいて、ある物事を達成しようとするときには、どうしたら努力量を最小化できるかを考える方がよいと思っている。このことを考えることが要領のよさを生むのだ。
たまに、「おれの方が頑張っているのに、要領がいい奴に勝てない。そういう奴はずるい。」というような嫉妬をする人がいる。(恥ずかしながら私にもそういう風に思いたくなるときはある)
しかし、それは要領をよくするための行動をあなたがサボっているからではないか、と私は言いたい。要領をよくすることを考えず、ただやみくもにつらい努力をすれば何とかなると考えるのは、それ自体がある意味努力不足なのではないだろうか。
要領をよくする方法論は様々あり、私も時々noteで書いているつもりだが、究極的には人それぞれだ。なぜなら、先に述べたように、それは努力の最小化を目指すものであり、何を努力と思うかは人それぞれだからだ。
私は、一人ひとりが自分にとって最小の努力を考え、幸せに生きることに時間を使えるならそれが一番良いと考えている。