法則型のブログ
前回はMBTI(16の性格診断)をご紹介しましたが、16もあると汎用性が低く他者を分析するには使いにくいのが難点です。
そこで今日は汎用性のあるモデルをご共有したいと思います。
岡田斗司夫さんが考えた「特性を分類する手法」で
人は「注目型」「司令型」「理想型」「法則型」の大きく4つのタイプに分かれるという理論だそうです。
それぞれのタイプに分類し、下記の4つのマトリックスに落とし込んでみます。「起点にする対象者のタイプ」の左隣に対して憧れを抱き、右隣に対して嫌悪感を抱き、向かい合うタイプは理解し合えない(ハマると長い付き合いになる)タイプだそうです。
たしかにその通りだなと思いました。
私は法則型なんですけど「理想型がいいなぁ」と思いましたし、
私の父は絵に書いたような司令型なのですが、父が嫌いなのではなくてそういう人がそもそもそういう人が嫌なんですよ。(つまりどう思ってるかってことは聞かないでください。笑)
「こっちが嫌」なので「あっちも嫌」だと思うじゃないですか。でもそんなことなくて、父に限らず司令型の人は、私に意見を聞いてくることもあって「そういう視点があったか」とリスペクトを感じることもあるんです。(だから嫌いになりきれないのですが…)
注目型もたしかにその通りだなぁと思う節はあって、よくご飯に行く友達も「俺たち意見合わないよね」と言いながらも、でもなんだかんだ仲が良いという不思議な関係です。
この理論でいろんな人間関係を回想して分析をしていたのですが、不思議なほどに説明が付くので、使いやすいなぁと感じてました。
例えば織田信長が司令型だとすると、豊臣秀吉は注目型で徳川家康が法則型かなぁとか思ってて。
そうすると豊臣秀吉が織田信長に弟子入りするのもなんとなくわかりますし、信長が「猿」というあだ名で呼んでいたこともなんとなく頷けます。織田信長が徳川家康を重宝する理由もよくわかりますし、家康の「勘弁してくださいよ〜」感もなんとなく頷けます。
明智光秀は法則型であるとすると、織田信長が側近に明智光秀を置いていたのもなんとなく頷けますし、本能寺の変があったことからもなんとなく光秀は信長が嫌いだったのかなぁと思ったりしてました。
関ヶ原の戦いに関しても石田三成が理想型ゆえに家康が許せなかったのかなぁとか思っていました。
『いやいや徳川家康は「極楽浄土厭離穢土」という理念があるので理想型ではないか』と思うかもしれませんが「極楽浄土厭離穢土」は大樹寺の住職から授かった教えです。たしかに若い頃は理想型だったかもしれませんが、後半は法則型だったのではないかと私は分析しています。たまに司令型になるのは疲れている時で基本的には法則型だったのではないかと私はみています。(疲れていると右側のタイプに引っ張られるらしいです。逆に元気の良い時は左側のタイプに引っ張られるそうです。)
なぜなら私も「若い頃に抱いた理想を大切にしたい」と思う法則型だからです。理想を実現するために経験を積んでいたらいつの間にか、落ち着いて法則型になってしまったというパターンだからです。
逆に石田三成はもともとは法則型で理想型になったパターンではないかと分析しています。
と、思いを馳せながら、いろいろ考えてたのですが、そう思うと面白いな〜と感じていました。このことを思い浮かべながらもう一度「どうする家康」を見たいなぁと思っていました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?