short story series『知らない』 person 01
作・堀愛子
あたしがこの前の金曜日の夜、バイト帰りに電車の中で出会った男性の話をします。
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武本 真一 (たけもと しんいち)46歳。
今日の出来事を振り返ると自分が歳をとったことを思い知らされる。
会社の飲み会の帰り道。46歳の僕。遠くの救急車のサイレンの音。ぽつぽつ光るビルの窓。たばこの匂い。すっかりシワのついたシャツを腕まくりする。少し肌寒い季節。僕だけが暑い。歩いたから。帰ったらおそらく鍋が待っている。妻の仕事の日は決まって簡単な鍋かカレー。
駅のホームに並ぶ。もう既に人が並んでいて今日は座れそうにないなと思う。目の前で酔っ払ったカップルが腰に手を回し合っている。興味はない。隣の線は夕方の人身事故の影響で運転見合わせ。放送がさっきから流れ続けている。今日は座れそうにない。
足早に車内に乗り込む人たちの顔は闘争心剥き出しで何をそんなに急いでいるんだ、と思う。僕は奥の窓際付近のスペースを確保してケータイ電話をいじる。目の前の人もその隣も自分の隣も多分みんな、このケータイ電話に夢中になってることだろう。
そんなことはどうでもいい。上司の話は長かった。付き合いで好きでもないお酒を少しずつ飲んだ。どうでもいい。どうでもいいけどどうでもよくない。やっと1人になれた。イヤホンをさして、昔よく聴いていた「愛は勝つ」をなんとなく選曲。懐かしいリズムのおかげで脳がどうでもいいことばかり考えてしまう。なんだか歌詞もどうでも良くなっていた。
なんだ今日は音が小さいな、そう思いながら音量をあげた。あれ、おかしいな、電車の中だからかな。どうでもよくなってきて、そのままにしていたら、イヤホンの外の声が僕の耳に入ってきた。
「うるせぇ、お前」
おおどうした、喧嘩をするなよ男子高校生。と思いながら懐かしい曲も男子高校生の喧嘩もどうでもいいので下を向いていたら、また外の声
「お前だよ、うるせぇな!」
顔を上げたら目の前の女子高校生と目が合った。その瞬間にはもうここで起こっていること全てを理解できた。まさかとは思っていた。
女子高校生は僕と目を合わせると0.01秒の速さで手元のケータイ電話に視線を落とした。口を尖らせて揃った前髪を整えていた。
お前だよ、うるせぇな!
の声は男子高校生でもなく女子高校生でもなく
もちろん僕でもなく、反対側の窓際付近にいる紺色スーツで茶色の革靴の男だった。僕と歳もさほど変わらないだろう見た目。
一回だけ波をぶち上げた僕の心臓の音は、そのあとドッドッドッと通常より大きな音でかつ速くなり続けていた。その男の目は紛れもなくこの僕のことを睨みつけていた。この「愛は勝つ」を爆音で流した僕に、今日一日のどうでもいい怒りをすべて向けているかのようでなんだか恥ずかしさと申し訳なさと一緒に、同情してしまった。刺したと思い込んでいたイヤホンを急いでケータイ電話に刺す。
ここに乗った人たちは全員、僕に気づかないふりをしていたということだろう。不思議と周りの不親切さを攻める気にもならなかった。
46歳の僕にもこんなに恥ずかしいことはある。周りの人達の苦い視線と小さく聞こえた紺色スーツの男の舌打ちも、ケータイの画面も今日の晩ご飯も、どうでもいい。
とてもどうでもいい。
どうでもいいのにどうでもよくない。
恥ずかしいけどどうでもいい。
きっとこんな出来事、目の前の女子高校生のSNSのネタにしかならないし、ここにいる人たちもお風呂に入る頃には忘れているだろう。
どうでもいい話。
僕が歳をとることも、これから自分にとってどうでもいいことが増えていくかもしれないことも、本当にどうでもいい。
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この前出会った武本真一はほんとうは田中次郎かもしれない。そんなことはどうでもいいですね。でもそれが面白いです。
大人になってたくさんの人に出会っても、
どうでもいいを考えることは自然であってほしいし、どうでもいいなぁと感じながらもどうでもいいことを思いついていたい。いつでも自分だけで生きてないんだなぁって感じておきたいです。
2018年10月22日