short story series『知らない』  person 06

作・堀愛子

病院前の踏切で待つスーツ姿の男性を見ました。土曜日の朝。
ーーーーーーーーーーーー

染谷康介(そめやこうすけ)32歳。
朝の風が気持ち良く感じたのは久しぶり。
電車が目の前を通る。踏切を待つのでさえ小さな苛立ちを感じていた昨日までが嘘みたいに、今日は本当に穏やか。

昨日の夜、嫁の霧子が倒れた。
本当に突然のことだった。救急車なんて初めて乗ったし、霧子の顔が見れなかった。
母親の認知症が酷くなり、霧子とは会話する回数が減ってしまっていて微妙な距離がとられていた。何気ない相手の行動にお互い、苛立ちを感じていたと思う。
昨晩は仕事から帰ってくると、テーブルに晩御飯が俺の分だけ置いてあって、霧子は風呂に入っていた。ラップのかかったオムライスは冷めていて、レンジでチンをする。霧子のオムライスは俺の好物。電子レンジをぼーっと眺めていた。
好きだけどもう飽きたんだよな。
一口食べて、ケチャップをさらにかける。スプーンで口に運びながら、なんとなくスマホを触る。
最近ハマってるゲームを開くと、オムライスそっちのけでゲームを始めてしまっていた。
そのあとだった。
霧子が風呂から上がってきて、俺の前で変な動きをしながら倒れた。
霧子は体は丈夫なはずで、こんなことは初めてだった。ゲームもオムライスもそっちのけで、床に倒れた霧子を必死に揺った。
そのあとのことはいまいち覚えていない。
霧子は思ったよりすぐ目を覚ましたし、今日中に退院できるようだ。
霧子が目を覚ました時、俺はただ見つめていた。霧子は口角を少し上げて笑っていた。俺は「ありがとう」と言った。霧子はまた笑っていた。

病院を出ていつもの通りに仕事に向かう。
カバンは少しだけ軽い気がする。
霧子に「ごめんね」を言うのを忘れていたことに気付いた。忘れないようにメモしようとスマホを開く。
いつものゲームが目に入ってきて、メモも開かずにケータイを閉じる。
踏切が上がる。
同時に今日は俺が晩御飯を作ろうと決めた。

ーーーーーーーーーーーー
言葉にしようとあたしも決めました。

2018年10月29日

いいなと思ったら応援しよう!