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弟子の安請け合いから学んだこと
わたしは「弟子になってくれ」と言われて、弟子になろうとしたことがある。
普通は弟子というものは志願するものであって、なってくれと言われてなるものではないと思うのだが。
当時は移住することが目的で、そこでする仕事を探していた。
仕事の内容はできる範囲なら何でもよかった。
「じゃあ、弟子で」と言われ、「弟子」という「仕事」だと割り切って受けることにした。
こんなことを言うとかなり失礼だと思うが、本当にそのような心境だったので仕方ない。
それ以前にも弟子になることを期待されていたことがあったが、私にはその技術を習得したい、この先生を師匠にしたい、という願望がなかった。
そういった素晴らしい技術を持った先生方からは、だいたい初対面で気に入られ、とても能力が高いと絶賛されるのだが、残念なことに自覚とやる気がない。
そんなやる気のなさで、その仕事や活動に入ると、他に志願して生徒となっている方たちとの熱量がだいぶ違うことにすぐに気づかされる。
「なってくれ」と言われて仕方なくなったものと、志願してなったものの間にはいろんな点で大きな開きがあった。ただ、飲み込みの速さや最初から出来てしまう所は、やはり先生方が見抜いていた能力の高さだったのかもしれない。
結局、その師匠たちとは離れることとなった。
他にも憧れの人の高額セミナーや講座に出たことがあるが、その人のようになりきることはできなかった。
人生でメンター(師)を持つ事は良いことだと多くの人が語っているが、こういった経験から、結局、一番のメンターとなるのは「自分自身」であることに気づかされた。
自分の好き嫌い、やりたいやりたくないと言う直感や感覚に従うことこそが、人生を最もうまくやっていけるコツだと思う。
その直感を無視して他人の意見を採用するということは、自分の人生を生きているのではなく、その他人の人生を生きていることになってしまうからだ。
だから私はどんなに良いことだと言われても、自分がやりたくなければやらないと決めている。
そしてメンターを持つとしたら、その人全部丸ごとを真似するのではなく、自分にとって良いところだけ、いいとこ取りをするのが1番良い。
今、自分の人生を生きていますか?