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大金星、終末論、オッペンハイマー
3月25日〜27日
職場のインターンが卒業したり、前職のメンターが無事に1年目を終えたりと、門出や区切りを感じる数日間だった。私は学生時代、バイトに精を出した記憶がまったく無い。部活に熱中していて、朝から晩までグランドを走り回っていた。勉強もそれほどでキャンパスよりも映画館にいた人間だ。だから、真面目に働いて、立派な会社に就職していくインターンたちが尊くて眩しい。
「区切り」について考えると、ラジオで聴いた「こないだ走り出したんだよ、2塁に」がまた頭に浮かんでくる。「2塁」ってどこなんだ。ベースが見えなきゃ走り出せないし、自分がどれだけリードを取っていいのかもわからない。バットは振った、1塁も踏んだ、次は2塁だ。
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3月28日
まるくて、ふわふわで、足がみじかい、おちびがやってきた!!
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これから先の犬生で、どうかたくさんのしあわせを感じられますように🐶🐶
3月29日
前職の先輩と渋谷で会った。最近は書籍編集だけでなく、展覧会のキュレーターにも手を伸ばしているらしい。学芸員や業界のあれこれを聞く。とにかくキュレーターというのは体系的な学問領域なので、他業界から叩き上げで入り込めるような隙は全然ないらしい。研究職のように崇高なイメージもあるようだ。それでも外の話に興味を持ってくれる人は数名いて、今はその人たちとチームを組んで、何やら企んでいるみたいだった。
坂本龍一が亡くなる前に出版した『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』をレコメンドされる。先輩はエッセイを読み、「死」を目前に人は何を考えるのかに興味を持ったらしかった。そこからSF作品づたいに話は「終末論」へと流れ、世代ごとに流行った終末論を分解してみることで、人が何に恐れていたのかだったり、何を大切にしていたのかなど、その時代の世相を読むことができるんじゃないか、などの推論に至った。
あと何回、満月を見ることができるのか。これはつまり「また会える」と思っていても、実はこの先の人生でそう多くないんだぞ、ということだ。こうやって先輩と会って話すことができるのも、もしかしたらあと数回だけなのかもしれず、そんなことを考えながらも、真に自覚することなんてできやしないところがやっぱり人間らしいと思う。
3月30日
青空と花粉が同居する春らしい天気。代々木公園をぶらぶら歩いてまわる。桜の蕾はまだ開花しておらず、土曜日の園内はゆったりとしていた。人は多いが、ギスギスしていない。シートを広げて宴会をしているグループがいれば、ベンチに横ならんで語り合う人たちもいる。大中小のわんこも揃い踏みだ。NHKホールでは俳句・短歌の大会が行われていた。ちょっと覗いてみたかったのだけど、入り口の奥に警備員さんが立っていたのでなんとなくやめた。
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夜は三軒茶屋の『うさばらし』へ。おでんと魚がおいしい居酒屋さん。やわらかい木の雰囲気に丸テーブルがうれしい素敵な店内。おでん、お刺身、エビチリ、唐揚げ、ビール、芋焼酎を堪能した。また行きたい。
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3月31日
吉祥寺オデヲンで『オッペンハイマー』を観る。事前にいくらかリサーチして、今回はIMAXではなく通常上映を選択。アメリカ公開から約8ヶ月遅れの日本公開なので、ようやくという思いが強かった。
核爆弾の脅威、オッペンハイマーの苦悩やジレンマ、国家権力の恐ろしさが満遍なく描かれており、そのどれかに寄りかかっているわけではないように思えた。むしろその全体性から「終わりをいつも予感してしまう時代」を築き上げてしまった人類史の記録的な要素を感じた。
印象的なのは、後にマンハッタン計画を遂行することになるグローブスと最初に出会う教室のシーン(ここで地獄の門が開く)。はじめは理解の両極にいた2人だったが、とても自然に、そして緊張感を持ちながら、最後には意気投合するまでになる。オープニングからここまでの運び方と着地が見事で、物語においてとても重要なシーンだった。
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そして、ラストシーンのアインシュタインとの会話。その内容はこの映画で何より大事なことの1つに値する。自身が発表した「相対性理論」の上に立ち上がった核爆弾という大量殺戮兵器。計画に直接関与することは無かったとしても、悔やんでも悔やみきれない思いを抱えていたことだろう。そして彼は、オッペンハイマーの苦悩を理解することができる数少ない理解者の1人でもあった。
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たった一つの核爆弾が、連鎖反応を起こして地球を焼き尽くしていく。彼はは(そして私たちは)、水面に広がる無数の波紋に核弾頭の爆発を見る。
映画の余韻はかなり複雑。解釈も難しい。
だけど、おもしろかった、ほんとうに。
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