![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/96832910/rectangle_large_type_2_9a43634ae8e4a3d9d98788813974f9b1.jpg?width=1200)
玉の輿線をもつ男
私の夫は、手に玉の輿線がある。
数年前、友人らと手相を見てもらった時に図らずも発覚したそうだ。
それを聞いた時、じゃあ私はこの人と結婚しないのだろうな〜、とぼんやりと思ったのを覚えている。
当時私は正社員としてそれなりに働いてはいたものの、逆玉ができるほどの稼ぎがあるわけでもなく、大成しそうな兆しすら見えなかった。なんなら、いつ辞めようかと考えてばかりだった。
ただもし、彼の手に本当に玉の輿線があるのだとしたら、この人と結婚すれば私は何かのビジネスで成功して大金持ちになれるのかもしれない。
元来働く女は大好きだ。
小学6年生の時、「プラダを着た悪魔」を観てキャリアウーマンに死ぬほど憧れた。当時の将来の夢は表向きは「保育士さん」だったが本当は「キャリアウーマンになりたい」だった。阿保がすぎる。
アラサー女になった今、キャリアウーマンという存在が実はいないことや、そう呼ばれるような仕事ぶりをしている女性たちが内包する悩みや苦しみもなんとなく知ってしまった。現実を知ったのだ。
でもやっぱり憧れの存在に違いはない。だからもう私にとってキャリアウーマンは、偶像崇拝に近いのかもしれない。キャリアウーマンという偶像が私の心の中にある。
だが小学6年生の私と少し違うのは、「バリバリ働く女サイコー!カッコいー!」というよりは、「自力で生きていける保証」みたいなものが欲しいという点だ。
なんというか、誰かに養ってもらうとか、宝くじが当たって3億円得るとかじゃなく、自分の足で立って生きている感覚が欲しいのである。もちろんその日暮らしではなく、それなりの生活水準を保って。そのシステムを得たいという気持ちが今は強い。
要は自信が欲しいのかもしれない。私はこれだけのことをしてこれだけの生活が送れている、という。
だから、逆玉の可能性を秘めたその玉の輿線は、私に希望を与えた。
数年後、私は結婚した。玉の輿線を持つ男とである。
その時私は無職だった。
いつ辞めようかと悩んでいた会社を勢いで辞めてしまったからだ。幸い転職先は決まっていたため、逆玉の輿の可能性はまだ消えていなかった。
だがその半年後、私はその会社も辞めてしまった。
「前向きを強要する会社」だったからだ。逆玉の火はもう消えかかっていた。
一年のうちに二度も無職を経験するとは思ってもみなかった。心の中のキャリアウーマンももうそっぽを向いてしまっている。
ひとまず失業保険をもらいながら、週2日のんびりバイトをする主婦と化した私。逆玉どころか、養われている立場になっている。
玉の輿線を持つ男は冗談めかして私に言う。
「あ〜いつ玉の輿させてくれるんだろうな〜楽しみだな〜早く専業主夫になりたいな〜」
果たして彼の手に、玉の輿線とやらはまだ残っているのだろうか。