リサ子

取るに足らない私の日常記録

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最近の記事

アラサー爆弾処理班

2023年は、ブラッシュアップライフに始まり「持つべきものは友だな〜」と感じることの多い一年だった。 もちろん家族にも、主に胃袋を支えてもらい私はすっかり料理の仕方を忘れてしまった。 かなりわがままに、自分の思うままに生きた一年だった。 そう思えた1番の要因は、仕事にあるだろう。 これまでやってきた営業という職種にキッパリと別れを告げ、全く新しい世界に飛び込んだのは大きいと思う。そして、そうさせてくれたのもまた、大学時代の友人であり、声を掛けてくれたことに本当に感謝して

    • 秋の空

      「もう遅いよ。どこが好きだったか教えるときは、もうその恋を片付けるって決めたときだよ。せっかく自分だけが見つけた秘密だったんだから」 大豆田とわ子と三人の元夫 第6話 早良 早々に片付けて笑い話に昇華できることもあれば、一生堂々巡りして片付けられないものも、正直ある。 1週間も経てば、あんなに悶々としていたのが嘘のようにケロッとしている …はずだったのに、1週間2週間…いくら経ってもどこにも消えてくれないのは何故だろう。 いや違うね、どうせ消したくないんでしょ。 誰

      • 「世田谷出身者は、イモい。」

        「世田谷出身者は、イモい。」 そう言い切ると、「はて?」の表情を一斉に向けられた。 いやいやいや、そんなはずはないだろう、と。 正直会社の飲み会でこんな発言をするもんじゃない。それは百も承知だ。 だが、私はこの後展開する(つもりだった)持論にかなり自信があったし、その表情を「なるほどぉ~」の納得一色に染められると思っていた。 だが結果は大はずれした。全く刺さってない、というかクエスチョンマークがめちゃくちゃ増えているではないか。 「きっとあなたの住んでいた地域がそうだったんだ

        • 「ぼくたちの哲学教室」を観た私

          久しぶりのユーロスペースで、やっとこさ観た今作。 教育に携わらない人も見る価値があると思える作品だった。 「ベルファスト」という映画を観ていなかったら、恐らくこの作品は見過ごしていたと思うし、本当に無知な私はこの地がどういう場所かも知らぬに過ごしていたと思う。 過去に見た作品が(ドキュンメタリー映画とは言え)現実の世界に連れ出す機会をくれた。これだから映画はやめられない… 往々にして「哲学」というものはそうなのかもしれないけど、「ネガティブな感情」を自分の言葉で言語化

        アラサー爆弾処理班

          「サバカン SABAKAN」を観た私

          小さい頃ってなぜか永遠に友達と「バイバーイ!」って言い合ってたけど、まさかその思い出に泣かされるとは思わなかった… モリコーネを彷彿するような音楽と、絵画と見間違うほど美しい長崎の景色も相待って、途中から和製ニューシネマパラダイス?と思いながら観ていた本作。(世間ではスタンドバイミーと言われてるみたいだけど) 私にはあんな素敵なひと夏の思い出は多分捻り出しても出てこないし、あっても「少年」たちの思い出には勝てないんだろうなぁと思ったら、ものすごく「少年」という存在に憧れて

          「サバカン SABAKAN」を観た私

          ケバブの匂いに誘われて

          この街に越してきて、最初にあの匂いに気付いたのはいつだったのだろう。 スパイシーで異国情緒漂う、日本人が決して生み出すことのできないあの匂い。 1ブロック離れたところからでも容易に感知できるあの匂い。 「あ、ケバブ屋が近くにあるな。」その勘が外れることはほぼない、あの匂い。 日本人の多くはきっとあのケバブの匂いを嗅いだことがあるはずだ。 ケバブの匂いというより、「ケバブ屋の匂い」というのが正しいのかもしれない。 ケバブ屋の匂いと言われて今どれくらいの人が「あ

          ケバブの匂いに誘われて

          「タイタニック:ジェームズ・キャメロン25周年3Dリマスター」を観た私

          不覚にも号泣してしまった。 きっと家で金曜ロードショーか何かで観ていたらこうはならない。(というか泣いた記憶がない。) やはり「名作」と呼ばれる作品は映画館の大きなスクリーンで見ず知らずの人たちと沈黙を共有しあって観ないとダメらしい。 「海の上のピアニスト」を映画館で観れた時も全く同じように思った。 名作すぎて何度もテレビで放映されてしまい、いくつかの強烈なシーンだけを私の記憶に残し、大してちゃんと観たこともないのに“名作フィルター“が自分の中でかかってしまっていたが

          「タイタニック:ジェームズ・キャメロン25周年3Dリマスター」を観た私

          「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」を観た私

          これは… 何度でも繰り返し観て噛みしめたい映画だ… 「モリコーネ 映画が恋した音楽家」の劇中で気になったため鑑賞。 華金とは言え230分の表記に慄くも、まぁ寝落ちしてもいいかと軽い気持ちで観始めたらあっという間の4時間だった。思いの外目はギンギン。(そしてintermissionが挟まれる映画は地味に初めて。) ギャングの話なのでショッキングなシーンはあるものの、これは絶対に夜更けに観たい映画。4時間あるから夜が明けるけど。 というのも、モリコーネの音楽がこの時間帯と

          「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」を観た私

          「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観た私

          音符は建築の資材に似ている。同じレンガで建てても建てる人が異なれば全く違う建物になる。モリコーネはそのレンガで聖堂をつくった。(うる覚えにつき意訳) ドキュメンタリーで157分という長さに不安を覚えたのも束の間、すぐにスクリーンに引き込まれた。 中盤も中盤で尿意に襲われたのは痛い誤算だったが、彼のつくり出す音楽(そして人生)に何度も震え鳥肌が立ち、終いには涙していた。 音楽でじんわりとあたたかい涙を流す。モリコーネの魔法にかけられた157分となった。 モリコーネという

          「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観た私

          労働の上に成り立つ豊かさは、もういらない。

          世の中全体的にもう少し不便で良いから、 さほど労働に拘らなくても 文化的で豊かな生活が送れるようになりたい。 労働の上に成り立つ豊かさとか もはやもういらない。 最近そんなふうに思うようになった。 ポチッと簡単に欲しいものが買えるのも、 そしてそれが翌日に届くのも、 気になったものが勝手にカスタマイズされて 表示されるのも、 食べたいと思ったものを 自宅まで運んでくれる人がいてくれるのも、 便利で嬉しいことではある。 あらゆる細やかなホスピタリティは、 日本の素敵な文

          労働の上に成り立つ豊かさは、もういらない。

          節分は一大イベント

          夫にとって節分は一大イベントらしい。 解せぬ。と思いつつも毎年このイベントに繰り出させられている。 恵方巻きを決まった方角を向き無言で食べ、家中に豆をまく。 恵方巻きについては、さほど好きではないが、まぁいい。 最近はスーパーも凝ったものを作ってくれるので(海鮮尽くしとかプルコギとか)楽しみながら食べることができる。無言を貫かなくてはならないので楽しんで食べているかは何とも言えないが。 問題は豆だ。豆まきの意味がよく分からない。 たしかに幼い頃は楽しく「鬼は〜外、福は

          節分は一大イベント

          「ケイコ 目を澄ませて」を観た私

          今年一発目の映画はコレと決めていた。 なかなか踏ん切りがつかず2月になってしまったが、私はその間に大きな勘違いをしていたようだ。 この映画にどこかで「何か」を求めてしまっていた。でも、わかりやすい物語を求めてしまうのは、ある意味健常者の感覚にすぎないのだと、エンドロールを見ながら反省した。 タイトル通り「目を澄ませて」スクリーンを見つめた99分。 岸井ゆきのの身体的言語から伝わる様々な感情や葛藤。とにかく目が離せない熱量だった。 でもどうしても分からないことも多かった

          「ケイコ 目を澄ませて」を観た私

          「そばかす」を観た私

          「生きている限り恋愛からは逃れられない」 序盤でのこの台詞が映画全体に立ち込めていて、最初は少し窮屈な心地。 かすみのもとにひょっこりと現れたかと思うと、“恋愛”を理由にかすみのもとから離れていく。それも前触れもなく突然に。 でも、ジレンマはあるが絶望というほどでもない。なんなら少し心地の良さを残している。ストーリーにちゃっかり「登場人物たちの自己表現」というアクセントを入れてくれているからなのかな。 そして最後は、そのアクセントが実を結ぶようなエンディング。 あれは

          「そばかす」を観た私

          洗濯に司られし女

          午前7時10分。 最初のアラームが鳴った。夢との狭間にいる私は夢の延長線上でスヌーズボタンを押し、またすぐ寝た。 午前7時18分。 最初のアラームのスヌーズが鳴る。懲りずにスヌーズボタンを押して寝る。 午前7時20分 続けざまにアラームの妬ましい音が寝室に響く。2回目のアラームだ。苛立ちながらまた、スヌーズボタンを押す。 午前7時42分 何度目かのスヌーズボタンを押し、もう何のスヌーズなのかも定かではなかった。 午前7時45分 夫のアラームが鳴る。「もう起きないとまず

          洗濯に司られし女

          玉の輿線をもつ男

          私の夫は、手に玉の輿線がある。 数年前、友人らと手相を見てもらった時に図らずも発覚したそうだ。 それを聞いた時、じゃあ私はこの人と結婚しないのだろうな〜、とぼんやりと思ったのを覚えている。 当時私は正社員としてそれなりに働いてはいたものの、逆玉ができるほどの稼ぎがあるわけでもなく、大成しそうな兆しすら見えなかった。なんなら、いつ辞めようかと考えてばかりだった。 ただもし、彼の手に本当に玉の輿線があるのだとしたら、この人と結婚すれば私は何かのビジネスで成功して大金持ちに

          玉の輿線をもつ男

          椅子のカタカタが気になって仕方がない

          ダイニングテーブルが我が家にやってきて早一週間。 椅子が届くまでの間、物置台と化していた悲しきテーブルも、やっと日の目を浴びる時がやってきた。 椅子を選ぶのにはさほど苦労しなかった。(あくまで私にしてはだが。)このテーブルと喧嘩しない椅子は割と限られていたし、そもそも予算が限られている。安くてイケてるインテリアがあるブランドをいくつかネットサーフィンし、IKEAの椅子に狙いを定めた。 だが、ここで買うことはしない。写真で見た感じと実物にずれがあるのがネットショッピングの

          椅子のカタカタが気になって仕方がない