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ケバブの匂いに誘われて
この街に越してきて、最初にあの匂いに気付いたのはいつだったのだろう。
スパイシーで異国情緒漂う、日本人が決して生み出すことのできないあの匂い。
1ブロック離れたところからでも容易に感知できるあの匂い。
「あ、ケバブ屋が近くにあるな。」その勘が外れることはほぼない、あの匂い。
日本人の多くはきっとあのケバブの匂いを嗅いだことがあるはずだ。
ケバブの匂いというより、「ケバブ屋の匂い」というのが正しいのかもしれない。
ケバブ屋の匂いと言われて今どれくらいの人が「あ~、ね。」となっているのか定かではないが、私はあの匂いを思い出すだけでお腹が空く。食欲をそそる何かしらの物質が配合されているに違いない。少し小太りのトルコ人(と思われる)おっちゃんが魔法をかけているのかもしれない。
とは言っても、いざ食べてみるとそのかぐわしい匂い以上の感動がないのがケバブだったりする。
なんというか、匂いが一番美味い。なので私はケバブ「屋」の匂いと呼んでいる。
たしか、あの匂いに気付いたのは、越してきて割とすぐのことだった。
仕事終わり、23時くらいだっただろうか。
最寄り駅から細道を抜けて大通りに差し掛かろうとした辺りで、私の元にふわ~んとあの匂いが漂ってきた。辿るとそこに一台の車が止まっている。
「あ、ケバブ」
ほとんど反射的に言葉に出してしまっていた。これぞマスクの弊害。
胃が空回りするほどお腹の空いていた私にとってそれは罪の香りだった。
狂おしいほどにあのこそいだ肉を貪りたい。
例えではなく物理的に喉から手が出そうだった。
だが止まっていたのはケバブ屋のキッチンカーだけではなかった。
あの匂いに誘われた人間が既にそこに立っていた。
トルコ人のおっちゃんと談笑する男女。こそいだ肉を待っている。
喉から出かけた手がするすると定位置に戻っていく。
だって、考えてみてほしい。
夜遅くにへろへろになりながらなんとか家路に着こうとする最中である。
先客がいるキッチンカーに足を止めるなんて体力と気力があるはずもない。
しかも「大の大人がケバブに並ぶ…?」という葛藤も少なからずあった。
ほんの数秒の間の出来事である。
私は後ろ髪を引かれながらもケバブ屋と、そしてケバブを待つ男女を横目に通り過ぎだ。
結局その日はコンビニでカップ麺を買って帰った。
そのまた数日後、その日もケバブ屋はいた。
案の定腹減りマンな私は匂いに誘われるようにキッチンカーまで足は向かっていたが、またである、また先客がいた。
明くる日も、そのまた明くる日も、「今日こそは」と気合を入れて大通りに出るのだが、どうしてだろう。いつも先客がいる。
みんなそんなに夜中にケバブって食べたいものなんだっけ?
ケバブの匂いに誘われてしまう深夜の迷えるオトナたち、多すぎない?
だが、そうしているうちにチャンスがやってきた。
気づけばもう仕事を辞めていて、季節も巡っていたが、その日もしっかり腹を空かした迷える大人だった私は、まんまとケバブの匂いに誘われて大通りに出た。
するとなんということだろう、先客がいないのだ。
だがその時初めて、これまでと違う問題にぶち当たった。
「現金がない」
私は常に現金がない女なのだが、ケバブ屋はどうやらキャッシュオンリーのようだった。
そうだよね、キッチンカーだもんね。そうだよね。
私は私をひっそりと慰める。結局なか卯でカツ丼を買って帰った。
こうして私はケバブの匂いに何度も誘われて、何度も見送った。
この街に越してきて、もうすぐ一年。
私がケバブを食べる日は、果たしてやってくるのだろうか。