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(01) 父の孤独死を知る

2024年8月下旬。
その日は夜勤明けで、家に帰ってから30分くらいしか眠れず、暑さも相まりダラダラとした午後を過した。
19時前、母が風呂に入っている時。家の電話が鳴ったが、我が家に電話をかける人などセールスくらいなので、出ないでいると留守電になり、

「○○署の○○です。○○(父の名)さんの件でお電話しました。折り返しお電話をお願いします」

え?と思っていると、留守電話切れ、今度は母の携帯が鳴り、また家の電話が鳴り、そしてまた母の電話が鳴る。

何これ、どうなってるの?あいつ、何したの?

そう思っていると母が風呂から出てきて、母が警察署との電話を終えて聞かされたのは、父の死だった。しかも最後の生存確認ができた日は、スマホの発信履歴があった24日前。遺体は腐敗が進み、本人確認が出来ない状態であるということだった。

警察署からは今から来てくれと言われ、今から他県に行くのは、と母も渋り、明日ではダメかとお願いしたがお許しをもらうことは出来ず。多分、今日中に帰って来ることは出来ないだろうと予想し、1泊分の荷物を持って母とふたりで21時頃家を出て、新幹線で他県の警察署まで行った。

夜な夜な知らない土地を歩いて警察署に着くと、最初に地域課の人が対応してくれ、その後、強行犯課の人が来る。そのふたりがどうやら現場の対応もしてれたらしく、部屋の状態も教えてくれた。部屋はエアコンはなく冷風機のみだが稼働しておらず、窓の1か所が数cm空いていて腐敗臭とハエが酷く、大家からの連絡があって警察が介入したとのこと。

父はアパートで倒れていた。腐敗が進んで黒くなっており顔も変わってしまっていて本人確認ができない。酷い状態なので会わせることはできない。また、事件性の有無も判断ができないため、司法解剖をしてからの遺体引き渡しとなると。

説明を受けた後は、父のスマホと財布を貰い、貴重品受け渡しと解剖のサインをして、葬儀社に解剖後の引き取りの仮予約の電話をしてから警察署を後にした。
因みに。解剖のサインは、解剖が警察の判断で行われるなら公費だけど、医師の判断になるなら遺族負担になるからその時のために遺族のサインを先にくれということだったんだけど。後で思ったが、その差は何かの説明はなく。結果、警察判断で遺族負担の発生はなかったから良いけど…。なんだかなあ。

警察でのやることを終えた時点で0時寸前のため、駅前のビジネスホテルに1泊決定。最初、ダブルを探してたんだけどどこも空きがなかったのでシングルをふたつ取ったんだけど、後で思えばシングルで良かったと思った。ひとりの時間がもてたから。夜勤明けで30分しか寝てないんだから、普段なら下手すりゃ11時間くらい眠れるのに、その日は全く眠れず1時間くらいしか眠れなかった。ずっと、泣いて、考えてた。まあ、母も1時間くらいしか眠れなかったと言ってたので同じっちゃあ同じなんだけど、一緒に居たらそんなに馬鹿みたいに泣けないしね。
といっても、その後も、事あることにひとりでも母の前でも泣くんだけどさ。

翌日は葬儀社と軽く電話をしてからチェックアウト。帰りは急がないから鈍行で帰った。電話を受けてから家に帰るまで、長くて濃い17時間だった。

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