仕事できずクビ宣告、鬱になりかけた僕が、海外逃亡した社長の後を引き継いで立て直した話
僕は小さい頃から僕は劣等感の塊でした
僕は滋賀県で野洲高校が高校サッカー選手権大会で全国優勝し、セクシーフットボール全盛期の時代に滋賀県でサッカーに打ち込んでいた少年でした。
当時、選手の多くはプロになり、一番の成功事例はリーガ・エスパニョーラでも活躍し、ワールドカップでも得点を決めた乾貴士選手。
そんな周りの人たちはプロだらけ、若くして成功している人たちがたくさんいる中で自分はすべてが中途半端。
大学に進学してフットサルに転向したけど、靭帯を断裂してしまい思うようなプレーができずその道も諦めてしまいました。
よし、ビジネスで挽回してやろう
そう思って、たまたまIT企業に内定をもらえました。当時の代表の「最高難易度の仕事を若手から任せる!」という言葉に惹かれて、ここなら鍛えられる!と思って入社しました。
入社後は地獄の日々。プログラミングの鬼の研修が始まり、300人の新入社員がいて今では考えられないですが、研修課題の順位で席順が決まっていました。
私は下から数えて10位くらいで常に人事から呼び出しを受けて「このままいくとウチでは働けないよ!」と常にハッパをかけられていました。
どうにかこうにかギリギリで研修を突破し、営業に配属されたい一心で、グループ企業に出向し、グループウェアを売るキャリアが始まりました。
売れない営業、そしてクビ宣告
営業としてキャリアをスタートしたものの、僕は軟弱でテレアポが大嫌い…。サボりにサボっていたところ、ついに当時の上司にバレてしまい、俺のイタリアン神谷町店(今は閉業)に呼び出されたのでした。
上司は遅れていくと言っていて、30分くらい僕が先に入って、ビールを流し込みますが、もちろん酔えない…。その後、上司が来て開口一番。
「中川くんさぁ、わかってると思うけどさぁ、営業にフィットしてないと思うんだよね。今すぐ辞めるか、部署異動するか、営業死ぬ気でやるか、今すぐ選んで。」
「部署異動します…」
「OK。わかった。今日のお代はワリカンで」
「承知しました(ワリカン…)」
背水の陣で仕事に向き合う
僕は、翌月から営業からコンサル部に異動しました。ビジネスパーソンとして、絶対に負けられない戦いが始まりました。このままで自分は本当に良いのか…?本気で向き合って変わろうと決意して、行動も変えていきました。
始業が9時でしたが、朝8時前にはとにかく会社に行って、仕事に向き合いました。そして20時くらいまで、常に12時間へばりつくように仕事していくことで、「あいつ本気じゃん」とみてくれる先輩方が増えてきたように感じました。
コンサルの仕事はシステムのエラーであったり、不具合の矢面に立って対応するのですが、ここでお客さんとの向き合い方であったり、演出の仕方、人はどうやったら動くのか。本質を掴めたような気がします。
担当するお客さんが全案件なんらか炎上が起きる星の元に生まれたようで、毎日がトラブル対応という1日でした。ただ、ここで問題は何か?どう対処すれば切り抜けられるか?という思考と、報告書を書くスキルが劇的に上がりました。
仕事は結局、「誰かの何かの問題を解決すること」というエッセンスをここで怒られながら学んだ気がします。
そんな日々が続いたある日、「そうだ僕は5年で1社目は辞めるって決めてたんだ」と思い出し、自分は何がしたいんだっけ?と思い返しはじめました。
そうだ、クリエイティブディレクターになろう
当時の僕は佐藤可士和さんのデザインがめちゃくちゃカッコよくて、本気で彼のようになりたい!と思ってしまったのです。
そして、勢いそのままにバンタンデザイン研究所でデザインを学ぶと決めて、なけなしの貯金100万円を振り込んだのです。
Day1から後悔しました。初日がデッサンの授業だったのですが、美大卒の人が生徒でゴロゴロいて、レベルの違いを痛感しました。
やっちまった…。100万捨てちまった…。と思ったのですが、ここから学びに変えないとヤバい…と思って、本気でデザインを学びました。
でも、学べば学ぶほど、やっぱりカタチにしていく仕事は自分じゃ勝てないと思ったある日。成果発表会がありました。
「あ、僕の勝算はここにあるかもしれない」とビビっときたのです。
それは、思考力、企画力、表現力(プレゼン)なら勝てるかもしれない!という発見でした。いくら優秀な人であっても、得意不得意はあるはず。彼らと比較したときに僕は、思考力、企画力、表現力(プレゼン)ならなんとかなるのでは?と決めた後はそこに全振りしました。
じゃあ、それらが高められる環境はどこだろう?と考えた時に、たまたまインターンで同期だった方がデジタルエージェンシーで働いていて、面接を受けたら、トントンと合格したのでした。
これが天職ってやつか!
デジタルマーケティングで売上を拡大していく仕事は、ソフトウェアの業務効率化と違い、攻めの観点が強く、自分の性に合ってました。
仕事が楽しすぎて、当時はまだ働き方改革前の時代で働きたい分だけ働けた時代でした。なので、朝イチから夕方にレッドブル飲んでまだまだやるぞー!と、意気込んで朝から終電まで働きまくってました。
しかし、ある日のこと新しい広告施策の運用、自分で手を挙げた新規の提案、既存顧客の広告運用提案が重なってしまい、全部自分で抱えて仕事が溢れてしまったのです。
「三徹したらやれる!やるぞぉぉお!」
「Day1: うおおぉ!」
「Day2: うぉぉぉ」
「Day3: うぉ…」
ということで、仕事は完遂できず、不安で寝れなくなり、睡眠導入剤を入れないと寝れないくらいに精神的に参ってしまいました。
仕事は全部剥がされてしまい、自分の力不足と虚無感…。あぁやっぱり、僕は仕事ができないんだ…。と思ってしまい気が滅入りました。
ここからの学びは人間1人で仕事はできない。チームでこそ成果を最大化できるということでした。
「自分でやれることは蟻レベル、だけど蟻も集まればゾウも倒せる力がある。個々人が強みにフォーカスして協力していくのが大事。」というのが鬱になりかけた時の一番の学びでした。
そこから心機一転、当時会社で一番イケイケな伝説の営業マンのチームに直談判して入れていただき、そこでも愛のある指導をしていただきました。このご恩は一生忘れません。
僕は事業がつくりたかったんだ
デジタルエージェシーでの仕事はとてもエキサイティングで、デジタルマーケティングで売上を高めていくとても面白い仕事でした。
ですが、完成された組織でもあり新規事業をやってみたいと思ってもなかなか難しいという環境でした。
そんなある日、たまたま大学の英語のクラスが一緒だったアメリカ人の彼と久しぶりにサッカーをした時、「インバウンドの仕事やらない?ちょうどセールス責任者がいないんだ」と声をかけられました。
伸びている市場であること、新規事業にいきなり携われそう、英語も使えるということで「Okay. I’ll work for your company from April.(4月から働くわ)」と返事をしたことを覚えています。
ベンチャーってこんな感じなの?
これは僕が入社したインバウンドの会社で感じた1日目の印象です。
当時は20人くらいのメンバーがいて、一軒家に外国人スタッフが8割という会社で、英語と中国語が行き交う活気ある印象でした。
大学時代にせめて何かガクチカをと思いカナダに半年留学していたのですが、完全に英語は錆びついていて、そのサビを落とすところからスタートしました。
Day2に「どうやってこの会社儲かってるの?」と社長に聞いたら、「まだ、投資フェーズでこれからだよ」という回答がありました。
なんかだか明らかにダブついてる暇そうな外国人と、セールスがなくて何で成り立つんだ?と不思議に思いながらも、まぁ、これがベンチャーってやつなのか。と思って、僕はゼロからセールスを始めて、半年程で少しずつ売上が少しずつ上がり始めました。
でも、足元はすでに崩壊していたのです。
社長が海外に逃亡
忘れもしない2018年のゴールデンウィーク前。会社の風向きが怪しいと社長から話があり、ゴールデンウィーク後に全社ミーティングが開催され、何の説明もないままに社長は「俺は辞任する」と一言だけ話した後、彼は当時付き合っていた彼女とインドネシアに逃げていきました。
そこから投資をしていた会社の方がやってきて、この会社はキャッシュがあと3ヶ月しか持ちません。改革をしていかねばなりません。という話がされて、お金の管理ができていないことや、真っ赤なPLをみて絶句することになりました。
なぜか、お金の管理ができてない経理の人も印鑑と通帳を持って逃げていきました。銀行口座を凍結しに行きました。その時支店長の方に「こんなことは初めてです…」と言われて、「初めましていただきました。ありがとうございます!」とか言ってました。
選択と集中
こっからがホントにしんどかったです。まずは何が起きているか現状もわからないので、書類だのなんだの漁るのですが、金庫の鍵も例の経理が持ち逃げしてたので、バールでこじ開けたら、キャバクラの領収書が出てきたりして、いらないゴミは出てくるけど、とにかくお金がないということがわかりました。
そこで、投資家に頭を下げて借入させてもらいなんとか息継ぎができる状況になりました。ですが、とにかくお金がないので、インバウンドプロモーション事業に専念して、それ以外の事業にひもづいていた、外国人スタッフはカタコトの英語で、ごめんなさいしました。
何よりしんどかったのは未来が見えない中で、足元のガソリンを売上でなんとか稼がないといけないこと。「お金はなくて今にも墜落しそうな飛行機なんだけど、ちゃんと、飛びますから安心してご乗車ください」とお客さんにはセールスしないといけないのがホントに辛かったです。
日繰表と睨めっこして、税金の赤紙(督促状)たくさん届いてるけど、払うのでと税務署に言って、支払いも止められるところは止めてということが半年以上続きました。
自分たちの給与も新卒の時より低いお金で働いていて、いろんな人にいろんなことを言われてムカつきましたが何とか耐えて、少しずつ明るい兆しが見えるようになってきました。
何のためにやるのか?
よく、逃げずに何でそこまでやったんですか?と聞かれるのですが、振り返ると支えてくれたメンバー、これならいけるかもと思える事業、裏切れないお客さん。この要素が続けられたこととして強かったかなと思います。
半年たってようやくいろんな出血が落ち着いてきたタイミングで、取締役として経営をさらにドライブして欲しいと言われて、やるなら目指すべき旗を立てないといけないなと思った記憶があります。
色んな本を読みまくり、経営をしている人たちからも聞きまくり、「Uncovering Japan to the World.(知られざる日本を世界へ)」とミッション決めて、事業を推進しはじめました。
2年で黒字化へ
旗を立てたら、旗に向かってチームが進みはじめました。自分ひとりで成し得たことでは到底なく、ホントに優秀なメンバーに恵まれて楽しく全力で取り組めたことが結果につながり、最終的に売上は2億超え黒字化することができました。
これができたのはミッションに共感して集まり、全力で成果を上げるよう動いてくれたメンバーのおかげです。年度明けにみんなで飲んだビールは格別においしかったことを覚えています。
そうして、僕はみんなから支えられて、ひょっこ代表取締役になりました。
新たなオファー
黒字化してしばらく経って、さぁ次は何を目指そうかと思った矢先に投資を受けていた会社から、新規事業を作って欲しいというオファーがありました。
自分でも、もう少し大きいフィールドで、いっちょ暴れたいなと思っていたタイミングだったので、「お受けします。やりましょう。」と2020年の年末に寒い日にお話したことを覚えています。
一難去ってまた一難
僕は炎上星から好かれているのだろうか…。2021年の年明けから、とあることが発端でメイン事業が燃えていました。この一件で新規事業どころではなくなり、執行役員となり営業統括を拝命しました。
そして、前回のごとくまずは現状把握からということでマネージャーにヒアリングしはじめましたが、当たり障りの良いことばかりの発言。現場では見えないところで地雷が爆発しているような状況でした。
これは自分の目で確かめなければと思い、全国北海道から沖縄までクライアント行脚をはじめました。そうしたところ、お叱りも受け、サービスレベルの抜本的なテコ入れが必要なことがわかり対処していきました。
毎週出張、年間移動距離8万キロ
ここから3年は年間移動距離国内だけで8万キロ、地球2周分常に移動し、現地に入りながら50名の採用を行い、マネジメントを行っていく思考と体力勝負の仕事が始まりました。
事業責任者が疲れていては話にならないので、この頃から毎朝3-5kmジョギングするようになり、夜は22時には寝て5時に起きて、走って、移動しながら仕事するということが習慣になります。
こう話すと「大変ですね」と言われることが多いのですが、地域の仕事は本当に楽しく、課題だらけではありますが、事業者さんの「売上が上がったよ」とか、自治体さんからの「この施策効きましたね」いう声が本当に励みになりました。
硬直化した組織改革が最大の課題でしたが、3年かけて採用も行い、平均年齢も10歳以上若返ったところで、僕は一区切りということで2024年8月に役員を退きました。
感謝したいのは、誰よりも漢気のある嫁
周りの人に助けられたなぁと思うのですが、中でも感謝しているのは嫁です。今でも初めて転職する時のことを思い出すのですが、転職した時に年収が100万円下がると嫁に相談したら「私がともくんを食わせてやるから」という漢気ある一言で吹っ切れたことを覚えています。
ベンチャーに転職した時も「私はわたし、ともくんはともくんの道を進んでくれ」と背中を押してくれました。
この7年くらいは、平日はほとんど家にいることはなく、迷惑ばかりかけてしまっています。本当にスミマセン…。ただただ、自由にチャレンジさせてもらっていることは本当に感謝してもしきれません。
最近、何も考えずに仕事辞めた時には「今は子どもがいるからね!」と自由な私に釘を差してくれたことも感謝しています。いつも本当にありがとうございます。
今、ダメ社員でもなんとかなる
さいごに、昔の僕みたいにダメ社員だと自覚がある人、自分に自信がなかったり、仕事に後ろめたい気持ちがある人に言いたいのは「諦めずに探すこと」です。僕はスティーブジョブズのスピーチが好きで、彼は「Keep looking, Don’t settle.(熱中できることを探し続けよ、とどまるな)」と言っています。
曲がりなりに、僕は部署を変わったり、転職したり、機会を掴んで、熱中できることや強みを探し続けてきたと思います。そして熱中することを見つけて、熱狂して、時間を忘れて没頭して、たくさん失敗して、たくさんの人に助けてもらって、何とか成果をあげることができたかなと思っています。「すべての起点はあなたの行動にあります」もし、仕事で大成していきたいと思うのであれば、参考にしていただけると幸いです。
長文読んでいただきありがとうございます!
「社長の言葉はなぜ届かないのか」という本を空港で読んで、羽田から新千歳に行く機内で書きました!今後、本で紹介されていたキャリア論についても書いてみようかなと思います。
地域創生、地域共創をテーマに生きていますので、ぜひXでもつながっていただけますと幸いです。
それでは!(新千歳空港の上空より)