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ナポレオンの棺

2021年5月5日はナポレオン没後200年の日。
棺を船から吊す、このドラマチックな絵画は、1840年のナポレオンの棺の帰還を描いたもので、時の国王ルイ・フィリップ1世が購入し、ヴェルサイユ宮殿に飾らせた作品である。


太陽王が好きな私はサンドニ大聖堂へは必ず詣でるけれど、ナポレオンの墓所にはあまり通わない。その墓所はアンヴァリッド廃兵院のサンルイ教会あって、地下をくり抜いた大きな空間の中央に大きな石棺が安置されている。
7重の棺と言われ、内訳は後ほど述べるとする。

セーヌ川のほとりに埋葬されたいとするのがナポレオンの遺言だったそうだが、これは後の創作だろう。

というのも、ナポレオンは帝位に着くと直ちにフランス革命で散々に破壊された王家の霊廟・サンドニ大聖堂の修復を命じた。先人と文化を重んじる心といえば聞こえは良いが、実は彼もいずれはここに入りたいと願ったからである。

ベートーヴェンが「ボナパルト」と書いて献呈するつもりだった楽曲の表紙を破り捨て、「ある英雄の思い出のために」と書き直したのは有名で、ナポレオンの野心が市井で語られていた証左でもある。交響曲3番の「英雄」がそれだ。

ルイ16世の弟であるシャルル10世が亡命先のイタリアで客死した事で、フランス・ブルボン家は断絶状態であったところを、ルイ13世の子孫となるオルレアン家のルイ・フィリップ1世がフランス国王となり、フランスは再び王国となる。

新王朝の王となったルイ・フィリップ1世はブルボン家にはなかった国民の感情を重んじることに腐心した。一度は革命を起こして国王を殺害したこの国民達を、再び軽んじることは我が命にも関わるからだ。そこで彼はフランス国王(Roi de France)と称さず、フランス人の王(Roi des Français)と称し、さらには革命を讃える行動も取る。その一つがナポレオンの棺を帰還させる事だった。

1840年、ルイ・フィリップ1世の息子であるジョアンヴィル公、フランソワ・ドルレアンを使者とし、二重の大きな棺を携えてセントヘレナ島へ派遣。
ナポレオンが好んだと言う樫の木の下に葬られた棺を発掘します。(なぜか深夜に)

当時の貴人の埋葬形式として、錫の棺に収められて溶接、次に鉛の棺で溶接、最後に樫やマホガニー材の棺に入れる。これはサンドニに眠る王族達と同じであるけれど、セントヘレナでは錫、マホガニー、鉛、マホガニーの4重の棺だったそうだ。1821年の埋葬時に溶接師が施工した記録まで残されている。

それをフランスから持参した2つの棺からまず鉛の棺へ納めて溶接し、さらに黒檀の伝統的な棺に収めて6重の棺になった。発掘された棺は少し大きくて、収納のために外側を少し削ったらしい。
絵画で描かれる大きな棺はこの黒檀の棺で、黒檀が効いたのだろうか、総重量は1200キロになり、43人の兵士で運んだという。

ただ疑問もある。20年土中にあった木箱が大木の下に埋められて腐らずに残っていたには不思議だ。よほど気候が良かったのだろうか。石室だったのかは記録がない。

なので、いくつか後年の演出もあるだろう。
不都合な情報は全て打ち消され、数多くの美談が生まれ、パリに流布され、国王の慈愛を広め、感動と涙を誘う事となる。


ナポレオンの死と将官に囲まれた葬礼な納棺を描いた版画も1840年の作で、この時のプロパガンダと言えよう。絵でも幾つもの棺が層のようになっているのがわかる。

このように1840年のナポレオン帰還は国家事業として大々的に行われ、船から上陸した棺はパリに運ばれ、凱旋門を通過し、アンヴァリッドへ向かった。自らも高位の王族であり、フランス革命の時はスイスまで逃げて、学校の先生までさせられて生活を凌いだルイ・フィリップ1世だから、ナポレオン賛美や神格化は、心底では乗り気ではなかっただろう。


既にナポレオンの将校が葬られていた事を良いことにアンヴァリッド廃兵院を推し、セーヌ川辺りに眠りたいとする遺言説を作り、先祖の眠るサンドニ大聖堂への埋葬を拒んだ意図も感じられる。
元フランス皇帝であれば、本来はサンドニ大聖堂こそが相応しいはずだが。

ナポレオンの棺の疑惑は他にもある。

セントヘレナでナポレオンの世話をした給仕長チプリアーニの棺が消えてナポレオンの墓にすり替えられ、ナポレオンの棺は英国王ジョージ4世によってロンドンのウェストミンスター寺院に運ばれ、無名兵士で埋葬されたという、ぶっ飛んだ説。
ちなみにナポレオンは生前、「何よりも恐れるのは自分の棺がウェストミンスター寺院に置かれる事だ」と語っていたという。ジョージ4世はナポレオンを尊敬していたというが、英国としては毒殺説を打ち消したいためのすり替えとも取れそうだ。

簡単なのはDNA検査であるが、フランス政府は頑なに拒否している。ナポレオンはその死因に英国の毒殺疑惑もあり、棺の開封鑑定は予てより希望がある。
だが、万が一(不一致判定や、毒殺説の確定)があれば世を騒がせかねない事、それに好奇心ばかりで実益がないというのも拒否の理由だろう。

最近ナポレオン1世の甥であるナポレオン3世はナポレオン1世との血縁がなかったと判明。ナポレオン1世は3人兄弟で、今のボナパルト家は次弟の子、ナポレオン3世とは別系の末弟の子孫だから、家系に影響はないが、今の科学は過去の歴史も否定できてしまうすごい世の中である。


....ということで、この棺の中の人がナポレオン1世その人であることは今では誰もが疑わないけれども、一方で様々な疑惑が残っているのも事実だ。
もしかしたらチプリアーニ氏だったりして。

黙祷おわり。

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