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ドラマ「35歳の少女」とわたしの解離性。

去年「35歳の少女」というドラマが放送されていましたが、これを見て『私の症状に似てる…』と思いました。

あらすじとしては、主人公は10歳の頃事故に遭い、意識不明となって奇跡的に意識が戻ったら35歳だった。
中身(精神的)には10歳で興味深々。しかし周りの家族や友達は歳をとっているし世の中も変わって驚きと戸惑いでいっぱい。

めちゃくちゃ大まかなあらすじですが、このドラマを見ていると自分と重なることが多かったんです。


私は解離症という病気です。
複雑性PTSD(長期的な度重なるトラウマ)により、いつからか解離症になっていました。

複雑性PTSDの治療としてEMDRという過去のトラウマになった出来事をイメージしながら、左右に動く光を目で追う治療とタッピング(体をトントンと軽くタップする)が主でした。

これもその治療者、治療してもらう場所が安全だと私自身が認識できないと始められません。

本来なら治療は時間をかけてゆっくりするものなのですが、治療者である恩師が癌で余命宣告され、いつどうなってもおかしくない状態になったので、1年3ヶ月ほぼ毎週恩師の自宅に通いました。

そしてある日突然自分の体に心が入ったのを感じました。

あれ?自分の目で物が見えてる。。。

(´-`).。oO ←私のイメージではこんな感じで、心が体の右斜め上、約30センチぐらい離れた所から一気に体に吸い込まれたような感覚でした。

今まで見えてた物は変わらないけど、やけにリアルに見える。
なにか今までと違う。
その時の恩師の部屋の場面が写真のように今も焼きついています。

これを普通はそんな頻度でやらないと、後で知りました。
確かにあの期間はハードで、まさに死闘でした。

悪夢障害とも診断されているのですが、夢がリアルでそれを鮮明に覚えています。
夢で見た景色や匂い、質感。味も感じることもあります。
それがどちらが夢か現実か分からなくなったり、1週間以上眠れないこともありました。
起きても夢から抜け出せず泣き叫ぶような時もありました。

胸が苦しくなって病院に行くと喘息と診断され、少し楽になっても更に苦しくなる。
心臓が悪いのではないかと怖くなって病院に行っても異常はなく、精神的なもので片付けられる。
結局は食堂痙攣でした。
調べると狭心症と判断が難しいこともあると。
納得できる痛みです。。。

恩師もモルヒネを使いながらの治療。
肺に転移していたので咳も苦しそうで、何度かもう治療はいいですと言いかけました。
でもそれは恩師が決めることだと。その言葉を飲み込みました。


恩師と知り合って16年。
やっと出会えた医師でもあり、カウンセラーでもありました。
時には恩師が主催されるグループワークに参加していましたが、個人のカウンセリングはキャンセルするのが怖くて行けなくなっていました。
病院で診察のとき事情を聞き、もう外来もできないから家でできる所までやってみないか。このままでは心配で死んでも死にきれないから。やれるだけやってみようと。

そこで覚悟ができました。


今から思うと恩師も私もふらふらで声も出せない時や、とりあえず恩師の部屋で横になり良くなるようにとタッピングしてもらったり。
恩師にはもちろん感謝してもしきれない思い。
そんな私をとりあえず車に乗せて運んでくれた家族。
良くなりたいと覚悟を決めた私。
全てが重なりあってここまでこられました。


突然体に心が入ると、普段見ていた景色があまりにも美しくて愛おしくてびっくりすることがあります。

いろんなことが理解できたり認識できたり。
Twitterも去年の今頃は鍵垢でフォロワー20人が認識できるかどうかでしたが、今は160人ほぼ認識できます。
考えたり認識できたり感じられるのが嬉しくて子供みたいになんで?なんで?って止まらなくなる時があります。

しかし良くなったことがある反面、体調を壊したりストレスが重なると解離するのか極端にできなくなります。
心が元気な感じがしても入った体は老体。
あちこちガタもきてるし、自分のどこが痛いのか。どこに不具合を感じているのか。
頭の先から足の先までCTスキャンするようにしても分からなかったり。
自分の体を遠隔操作するように、右手動かして…お箸持って…と意識して体に伝えないと動かなかったり。

人に何かを伝えようとしても何を伝えたいのか、どう伝えていいか分からなくて言葉を発せなかったり。
でも人からすると昨日までできたのになんで?ってなると思います。
それが伝えられない…。

最近は体調不良や精神的落ち込みがどんどん重なりかなり解離してしまったようで、人が怖くてたまらなくなりました。
そうなると家族の気配も怖くなり、スマホの通知音や物音に怯える。
また昔のように寝たきりのようになって怯えて生きていくしかないのかと、どんどん谷底に堕ちていく気がしました。
それがある日ふっと体に心が入り、怖くなくなりました。

複雑性PTSDや解離症の症状は人によって違うし、個人差が多いです。
私には他の人格は無いようですが、他に人格ができる場合もあります。
それほど辛いことがあり、解離して心の体が離れないと生きてこられなかったんだと思います。

自分でも何故できないのか?何故できるのかが分かりません。いつ解離するか、しているかも分かりません。

できた時は嬉しいけど、できたことができないとまた落ち込みます。
それは誰しもあることかもしれませんが、落差がとにかく激しい…激しすぎます。

私がやった治療を人に勧めますか?と聞かれたら絶対にお勧めしません。
でも後悔はしていません。
それぐらい辛くて苦しい思いもしたけど、こんなにできるとこもあるんだと気づかせてもらえました。
それは恩師の余命のことがなければとても乗り越えられることではありませんでした。
それがなければ辛くて途中でやめていたと思います。


恩師は去年5月愛する旦那さんの元に旅立たれました。
遺影が桜と一緒の写真だったせいか、桜のイメージです。

毎週のように通っていたあの場所はもう無く、恩師もこの世にはいない。
その寂しさと不安に潰されそうな時もあります。
それでもその心に空いた穴は他のものでは埋められない。
心を広げて他の人や場所をつくっていくしかないなと思っています。
そして私の命が尽きて恩師の元に逝ったら「いい人生でした」と報告するのが今の目標です。


複雑性PTSDは誰がなってもおかしくない心の病。
でも不治の病ではないと思います。
それは完治ではなく、少しずつ、少しでも良くなる可能性があるという意味です。

ただ、治療者との出会いや金銭的に難しいことも現実です。
その人と出会えても自分が地獄まで行くような覚悟が必要で、それが全て揃うタイミングで良くなっていく気がします。
人との出会いや言葉に救われることもありますが、傷つくほうがもっと多いです。
心も体もも傷だらけなのに、ちょっとしたことでその傷に塩をすり込まれるようで。

フラッシュバックや悪夢も地獄です。
それを一生抱えていくか。
辛いけどその先のことを考えて乗り越えるか。
そんな正念場のようなものが来た気がします。

もっと複雑性PTSDについて認知が広まり、医療として治療が広まればいいなと切に願います。
そしてたくさんの人が生きやすくなりますように。



長くなりましたが最後まで読んでくださりありがとうございました。


そよかぜ🌱

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