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どうなることやら。2日目。
なぜ、激務を激務と思わずに走り続けられたのか。
1. 激務神経が麻痺したから。
2. 私には仕事しかなかったから。
3. 生活のため。
どれも正解。だけれども、
激務の向こうっ側が少し見えたことが大きい気がする。
「がんばる」って言葉は、努力の量しか表せないんじゃないかなと思うことがある。努力の質までは約束しない。いや、約束しないのが「がんばる」のいいところ。「がんばる人」のズルいところ。24時間寝ずにがんばった人に、「寝ずにがんばって、このアウトプットですか、、、」とは言いにくいしね。
激務の向こうっ側には、がんばるだけじゃ、行けない。運とタイミングと下心も必要だ。
がむしゃらに走る。時には、徹夜もズルもして。いくつか偶然が重なると、「成果」と呼べるものが付いてきたりする。その「成果」(成果物)に対して、世の中の人に、あーだこーだ言わせるのが、めちゃくちゃ大事なポイントだ。スルーされないことがなにより大切だ。
あーだこーだ言われて。
あの子は、あーゆー子だ、いや、こーゆー子だ、と言われて。
私は、少しずつラクになった。
そこから、激務が激務じゃなくなったように思う。