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わたしは、恥ずかしい。
マスクせずに出かけることが
わたしは、いま、恥ずかしい。
画面越しではなく、
生の人間と話すのが恥ずかしい。
とある友人が教えてくれた。
(分母一の意見だが、興味深いので真に受けてみる)
「マスクを取ることは、パンツを脱ぐぐらい恥ずかしいことなのよ。
マスクなしで歩くことは、ノーパンで歩くくらいのことなのだから」と。
それは、また、別の意味で、ドキドキしちゃうよね。恥ずかしいのとは別の意味で。
わたしには、マスクをしないよりも恥ずかしいことがある。それは、
文章を書くことだ。
わたしは文章を書くことが恥ずかしい。
喋るよりも恥ずかしい。裸を見られるよりも恥ずかしい可能性すらある。
わたしはコピーライターという職種なので、書くことが仕事。
日々恥ずかしいことを繰り返すのが仕事ってことになるんだけれども。
本当は、書くことよりも、
書いた文章を読まれることは、もっとずっと恥ずかしくて。
打ち合わせやプレゼンで自分が書いた言葉を誰かに見てもらうのは、ずごく恥ずかしいしプレッシャーだけれども、
この恥ずかしいという思いこそが、
美意識であり、モラルであり、プロにしかない感覚なんじゃないのかなと思うわけで。
SNSで特定の誰かに向けて、匿名の言葉を吐いてしまうことは、無責任で、
とても恥ずかしいことで。それはノーパンで堂々と歩いてるようなもので、
それに「いいね」がついても「裸の王様」ってことだよってことに気づくぐらいの人は、そんな恥ずかしい言葉は書かないんじゃないのかなー、と。
眠いし、酔ってるし、もう寝ますが。
ヘッダーに載せた写真は、フラワーカンパニーズ=フラカンの鈴木圭一さんの著書から。 #深夜ポンコツ
フラカンほど、心が素っ裸なバンドを、わたしは見たことがない。
つまりは、フラカンが好き。