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あなたは愛の定義を答えられるだろうか。
辞書には下記のように記されている。
そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持。かわいがり、いつくしむ心。「子にそそぐ―」。いつくしみ恵むこと。「神の―」。いたわりの心。「人類―」大事なものとして慕う心。
「母への―」。特に、男女間の慕い寄る心。恋。
愛が共通認識であれば、パートナーとの諍いはなくなるかもしれない。
愛の深さや人への想いはその人にしかわからない。受けとる側が同じ感覚ではないのだ。
日本語における言葉の定義は複雑である。
大抵複数の定義があり、音読み訓読み、方言が入り混じり、共通言語でありながら共通認識になりづらいのだ。
大前提、人それぞれ言葉の定義は違うことを強く認識するべきだ。
そうでないと話が噛み合わずストレスを感じてしまう。
言葉の定義が違うことを認める、それが大事だ。
その上でコミュニケーションが成立するのだ。
人それぞれ違う、そんなことは皆んな頭ではわかっている。
しかし人は自身の価値観で理解しようとする。
それは間違いではないが、腑に落ちないことも多々あるはずだ。
そしてきっとそうだと自身を言い聞かせる。
根本的な解決にはならないだろう。
本当に目の前の人とわかり合いたいなら、その人の価値観を見に行く必要がある。
固定観念を脱ぎ捨てて、ドラクエ風に言えば布の服で挑むのだ。
傷つく可能性は勿論ある。
しかしそれが愛ではないだろうか。
人を認める。
簡単なようで実に難しい。
ただ価値観の違う人たちが同じ目的に向かったときに起こる化学反応ほど美しいものはない。
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それがチームであり企業であるべきだ。
若者たちとそれを目指したいものだ。