記録と記憶と記念と記号
「深夜のラーメン、まったく憶えてないけど写真が残っていた」という話が好きだ。己を制御できずにエラーや暴走をするのがとても人間らしい。その人の身体にとってはマイナスでしかないが、心にとっては必要な栄養だと思う。
人はなぜ、食べたものや見た景色を記録するのだろう。
スマホの記録力はすさまじい。写真はもちろん、位置情報や検索履歴、興味関心やライフログがばんばん記録されている(≒GAFAに吸い取られている)。
昔は図書館が知の殿堂だった。しかし今はスマホとWEBの組み合わせでたいていのことは知ったかぶりできる。ここ数年ではAIも掛け合わさって、記録をさかのぼったり関連情報をリサーチすることがやたらと簡単&爆速&ほぼ無料になった。
昔は物知りな人=賢い人だったが、今は知りたいという意欲さえあれば誰でも物知りになれる時代。誰でも博士ちゃん。だれしも博士くん。
昔は記憶力がいい人=天才だったが、これからは「記録力がいい人が重宝される」かもしれないね。
🧠
真実はいつもひとつ! よりも
※諸説あります のほうが好きだ。
・記録はまったく残ってないけど語り継がれている武将
・記録はやたらと残ってるんだけど誰も記憶してない歌人
・記念樹って書いてあるけど誰が何の記念で植えたのか記録がない
アンバランスな記、独断と偏見による記、意見が分かれる記があってもええじゃないの。諸説最高。
真実はひとつかもしれないけど、見え方や輝き方は無数にあるんだよなぁ。 そよを
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