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【番組出演録】分かりやすさの怖さ
AbemaTVの『ABEMA Prime』という番組から出演オファーをいただいて、出演してきた。(アベプラと呼ばれているやつ!)
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TBSの特番に出演したことはあったが(CMまたぎまでしたw)zoom出演だったし、それ以外も地方テレビにちょっとだけ出演したりというだけでスタジオ出演(しかも生放送)は初めてのこと。
ネット番組なのである種どこにいる人でも見ることができるもの出演することに。
なんの内容で?というと、この「誕生日コンプレックス」について書いた記事がきっかけで、誕生日特集で自身の経験を話すこととなった。
ざっくりいうと、わたしは1月2日が誕生日で、学校が休みのためクラスのみんなに祝ってもらえないだけでなく、お正月なので仲のいい友達とかですら家族や親せきとの予定があり祝ってもらえないこと。それを機に自分の誕生日が近づくと今年は祝ってもらえるだろうか?とドキドキしてしまうという話。(ちなみに今はもうそのコンプレックスはない。)
わたしが出演した回は、アナウンサーの平石さんの他に、堀潤さん・呂布カルマさん・河崎環さん、そしてひろゆきさん(!)がご出演の日だった。
企画や準備含め、出演してみての1番の感想は、テレビ独特の「分かりやすさの怖さ」を感じた、ということだった。
というのも、今回は誕生日特集ということで、誕生日にコンプレックスを抱いていたわたしと、誕生日が好きで毎年アートイベントとして祝っている下山さんという方がゲストとして出演した。
簡単に言えば「誕生日ネガティブ派 vs ポジティブ派ということで議論する」という内容。
その軸以外にも、ひろゆきさんは誕生日を祝われたくないらしく、わたしたち2人は祝われたい派ということで「祝われたくない vs 祝われたい」という分かりやすいふたつの対立軸が用意され、討論するという形式だった。
思ってもないことを言えとはもちろん言われてない。けれど、あくまで「誕生日にコンプレックスがあった人」という立場で話してほしいとは事前打ち合わせの時から言われていた。
実際、他のコーナーとの兼ね合いもあって誕生日特集は25分程度だったし、体感10分くらいの感覚だったので、立場もなにもなく放送は終わった感じだったが、
やはり映り方としては「誕生日にコンプレックスがある人」「誕生日を祝ってほしい(承認欲求が強い)人」という風になっていたのだと思う。(自分では怖くてアーカイブが見れていない。)
わたしが誕生日コンプレックスを抱いていたのは事実だし、「祝われたい」の背景には承認欲求もあるのかもしれないれけど、人間は単純じゃないからその言葉だけでは表現しきれない気持ちだってあるし、
いろんな価値観は簡単に二分できることばかりではない。
出演自体は楽しくできたし(ひろゆきさんに強めに言われたことは気にはなったが)なにかの発言をものすごく強く強いられたということはなくて。ただ、
テレビという媒体を通す時、特に討論するような番組などではなにかを分類して人の属性を決めたり、
タレントとして売れるようにするために「おバカアイドル」とか「大卒芸人」とか、そういう「キャラ付け」や「ラベリング」がされてしまい、視聴者もそういう目で見てしまっているんだということに気づき、その危険性を感じた、という話。
自分が出演する側になってみて、自分自身がそういう視線に晒される怖さも感じたけれど、
自分が大好きで見ているタレントやアイドルに対して、自分がそういう目線で見てしまっていた怖さに気づいた。
分かりやすい文脈に乗せられ、消費されること。その分かりやすいキャラが自分にまで取り込まれ、内面化されることも余裕であり得ることに怖さを感じた。
もちろんその「キャラ化(わかりやすさ)の渦」みたいなものに飲み込まれないように気をつけて、分かりやすいキャラを作らずに多面的で複雑な自己を表現できているタレントさんもいらっしゃると思うし、
キャラ化されていたとしてもそれを内面化まではせずにあくまで演じている人だっていると思うけれど。
だからもし今後タレントさんとお近づきになるようなことがあっても、テレビで見えている「その人」は「本当のその人」ではないんだなと思うようにしようと思った。
実際、少し前にフジテレビのお昼の番組「ぽかぽか」の番組観覧に行った時、神田愛花さんがテレビで見ている印象と違ったことに驚いたのも、同じ理由なんだと思う。テレビでは「アナウンサーぽくない」「天然」みたいないじられキャラに見えるけれど、
目の前にいた神田さんはすごく美人で、こちらに話しかけてくださったりする神田さんの言動はすごく聡明な方という印象だった。
「アナウンサーぽくない」「天然」というキャラも、わかりやすいキャラ付けをして企画を成立させるとか、いじりをネタにするために作られたものなのだろうと思った。
もちろん神田さんのなかにそういう側面もあるのだろうとは思うけれど、少なくともそれがすべてではないと感じた。でもその側面だけを強く引き出されて映されているんだと思う。
テレビに出ることの向き不向き
わたしはなにかを言語化すること、人前で話すことはやはり苦手ではないと思えたし、自分の話したいことをスピーディーに組み立てるように脳みそをフル回転させる感じとか、アドレナリンがドバドバ出る感じも結構すきで。
よくオンラインイベントの司会やライブ配信をしていたときに感じていたので、「あ〜これこれ…」と、たまになら悪くないなぁと思った。
でも実際本番前は緊張で胃が痛かったし、アドレナリンが切れるとどっと疲れが出る感じも含め、たぶん頻繁にあったら具合悪くなるだろうな…と思った。(慣れていくのかもしれないけど、慣れたいかどうかはまた別の話…)
そして、ちょっと感想を見ようかなと思ってXを開いてみたりしたけど、誕生日のコーナー以外のところに対してでも結構なポストがあるのを見てしまい、自分の発言などに対してほんとにクソリプ的なものを観たらたぶん結構傷つくなぁと察したので、ポストやコメントは見ていない。(アーカイブ動画も、見ても反省とか映りとかいろいろ気になって嫌な気持ちになりそうなので見ていないw)
だから、上手く話せる(もしくはおもしろいなどの特性がある)のは前提で、いろんな人から見られて何かしらの印象を持たれることに耐え、アドレナリンがドバドバ出るようなある種の精神的負荷にも耐え、SNSなどのでの投稿やコメントにも耐える(もしくは見ない覚悟ができる)。
そういう副次的な環境に耐えられるメンタルや体力がある人にしかできない仕事なんだな~と思った。
生放送×ひろゆきさんとの共演とはいえ、たった一回の出演で言えることでもないけど…!笑
小さい頃からテレビが大好きなわたしとしてら、そういう世界なんだと知ってまたテレビを見れるようになったという意味ではいい機会だった。
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