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みんな!相手に合わせる恋愛はやめよ!

最近こういう投稿多いですよね。


これを見て「なるほど…」と思うと同時に、

「やべぇな〜」

と思う。なぜヤバいと思うかというと、

①男の好きな女になった方がいいという視点であるから
②そこに男女で非対称性がありすぎるから


① 男の好きな女になった方がいいという視点

上のツイートに関しては、たしかに自分の恋愛経験と照らし合わせても、そういうひとが多いのかも?とは思いつつ、「多い」という話でしかないので、男の人みんながそうというわけではないと思う。(当たり前だけど)

そして、「尽くさないと…」と相手のために無理にがんばりすぎてしまっていた女性がもしこういうツイートを読んだとしたら、「そんな風にしなくてもよかったんだ…!」と解放される・心が楽になる可能性もある。


でも、好きな人になにかしてあげたいと思うのは自然なことなので、単に愛情表現としてお味噌汁を温めている人もいるわけで(わたしも好きな人にはご飯をつくってあげたくなっちゃう!)。

そういう人にとっては、「それは男に好かれないから行動を変えるべき」という意味合いで捉えてしまうことになる。

女性のためを思ったツイートに見えて、人に合わせる恋愛を促すような言葉であり、女性を苦しめる可能性があるということ。


そして、例えば、夕ご飯のおかずで、肉か魚で迷ったときに、「好きな人が肉が好きだから肉にしよう~」みたいな、

自分にとってそこまで重要じゃないこと・どっちでもいいようなことだったら、相手に合わせるのもいいかもしれないけれど、自分の振る舞い、自分の愛情表現の方法を「相手に好かれるため」という理由で合わせる必要はない。

だから、①の「男の好きな女になった方がいいという視点」に関しては、自分のなかのギャルに言わせてみれば、単純に「相手に合わせた自分になって好かれても嬉しくなくない~!?」って話。



そしてさらに、ここを考慮してないとヤバイなぁと思うのは、「味噌汁を温めて起きて待っている」みたいに、愛されるために尽くしすぎちゃう女性って、

「その相手の男性に愛されていない」もしくは、そうでなくとも「愛されていると感じてない」場合が多いと思うんですよね。だから、「愛されるように努力しなきゃ!」って思想になってしまう。

(もちろんそうじゃなく、単になにかしてあげたいって人もいると思うけれど!)

なんで無理してでも味噌汁を温めたり起きていたりしちゃうか、ってところまで考えてない浅はかさ…

大事にされていないから、大事にされるために努力してしまうという悪循環なわけなんだけど。

ここで言えるのは、まず、大事にしてくれない人と恋愛するよはやめよ!ということ。大事にされないと、「自分に価値がないからだ」とか「努力しなきゃ!」とか思ってしまって、よくない方向に行く可能性しかないから!!

そんな愛情すら受け取れない人なんてこっちから願い下げだ!(ってか好きな人がそんな風にしてくれることを喜べないのって本当にすきなのか?とすら思うが…)

② そこに男女で非対称性がありすぎるから

そして、②の「そこに男女で非対称性がありすぎるから」に関しては、

こういうツイートを本当によく見かけるけれど、「(男性に対して)女性はこういう男が好きだからこうすべき!」ってのは本当に見かけないんですよね。

つまり、女は男に合わせるべきだけど、男はそのままでいい女は男が生きやすいように、振る舞わなければいけない

そういう社会になってしまっているって話だと思う。男性優位の縮図のようなことが、恋愛論においても起きているなぁと。

一昔前は、「仕事から帰ってきた男を癒さなければいけない」「三歩下がって師男を立てなければいけない」「家事を完璧にこなしていなければいけない」みたいな振る舞いが女性に求められて、時代が変わったら今度はそういう女より「夜中にハーゲンダッツ食ってる女がいい」って……

それが社会の一般常識のように認識されるヤバさ。そして、「三歩下がって男を立てなければいけない」みたいな女性像が求められていた時代に、どういう男性像が求められていたか?というと、明確にないのではないかと思っていて。

もしかしたら「妻が働くてもいいように稼げる男性」とか「車や家が買える」みたいなことは求められていたのかもしれないけれど、社会全体としてこうあるべきみたいなものは、今も昔も女性の側の方が求められる感覚が強いのではなかなと。その非対称性に自覚的でいなくてはいけないなぁと。

もちろん、そうやって求められる像が、男性の方が少ないからいいってことはまったくなくて、そもそも男性はこうあるべき・女性はこうあるべきということ自体を誰かがいうことに問題があるという話で。


そして、こういう類のツイート(ポスト)をしているのが、男性なのか女性なのかも気になるところ。

男性が、「俺らが好きな女になれ」というニュアンスで書いていたら大問題だし、女性が「男が好きな女になろうぜ!」って良かれと思って書いていたとしても、自分たち女性を苦しめることになる……

つまりは、どんな人が書いていても問題たりえるという話なのだけれど。


だから、「夜中にハーゲンダッツパーティーしてる女のほうがいい」というツイートは、男性から女性に対してのみ「女はこうあるべき」を突き付けるという、非対称性のある言葉であり、

結果的にそれは、逆に女性から男性に対して「男はこうあるべき」を求めることも容認してしまう可能性がある。

男性に合わせてくれる、男性にとって得な言葉に見えて、男性を苦しめることになる、という話。



ちなみに、この類のポストで最近一番ひどいなと思ったのはこれ。

男性への偏見にもほどがあるし(男女関係なくない?)、「言われた時点で終了」とか「理解しよう」とか、女性の発言を封じたり自分(男性)は変わる気がないけれど女性は変わってね」というスタンスが抑圧的でしかなくて震える……


最後に

つまりは、「勝手に属性で分けてこういう属性のひとはこういうひとが好きだからこうすべき!」と言っているだけの暴力的なツイートでしかないし、

しかもその好みに関しても全く信憑性はないし、そうだとしても無理に合わせるべきではないので、真に受けるのはやめよう!という話。

そして、非対称性の話をするために異性愛前提の恋愛に限った話として進めて来たけれど、そもそも恋愛するひとのなかで対象が男女とは限らない。

とはいえ同性同士であっても、無理に相手に合わせることなんてしなくていいし、もし同性のなかでも勝手に属性で分けて好みを推測されるようなことも、ないほうがいい。


まとめると、

勝手に人を分類して、その人の好みを無理に推測したりなんてしなくていいし、大事にしてくれる人にありのままの自分を好きになってもらって、ありのままの相手を好きになれる人と恋愛しようぜって話。

ま、好きな人ができたらちょっとでも好かれたくなったり、可愛いいって思ってもらいたい気持ちになっちゃうんだけどさ!でもそれは人に言われてするようなことじゃないから。

自分を大事にして、無理しない・傷つかない、楽しい恋愛をしていこ!(もちろん恋愛だけがすべてじゃないしね。恋愛以外でも同じことが言えると思っている。)


最後に、わたしが好きな言葉を2つ、みなさんにもプレゼント!

 好きな場所で、好きなことを、好きなだけしている、そんなあなたを好きになってくれる人をまず一番に大切にしたらよろしい。背伸びした自分を好かれたって、もはや仕方ない。遠慮したっていつまでも埒が明かない。等身大で嘘を吐かず、隠れず、隠さず、堂々と暴れる。好き嫌い、はっきりさせる。それが二十代の大前提です。
 シンデレラはいません。白馬の王子様もいない。
 でも、どこかに特別な一人がいる。同じような魂を持つ、孤独な人がいる。
 そんな一人に出会うまで、とりあえず一人で生き延びるとよろしい。そんな一人に出会うまで、訳のわからないことを言い続けていたらよろしい。好かれることにさえ飽きたら、財布と形態だけ握り締めて、地図を持たない旅に何度でも出たらよろしい。
 最も痛々しい思い出が、それでも一番美しいのです。

F『20代で得た知見』


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そい|内藤千裕
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