一生立ち直れないこと。

誰にだって、一生立ち直れないことはある、と思う。

私は、中学の部活動で嘘を付いた日からずっと立ち直れていない。

最後の夏の大会だった。

ベンチスタートだった私。4クオーター目。
相手には既に20点差をつけられていて、おそらくもう、負けが確定していた。

そんな中顧問に呼ばれた。「最後だから、試合、お前出るか?」

私の中にはたくさんの感情が渦巻いた。

もしここでちょっと活躍したらかっこいいかも、なんて甘い妄想もした。

でも、その時の私の口から出たのは「足をさっき怪我しました。痛くて走れません」だった。

その時の顧問の哀れなものを見る目が今でも忘れられない。

「そうか。」

顧問はそれだけ言って、他の子の名前を呼んだ。乾いた声だった。

なんでなんだろう。今思い出しても、なぜそんなことを言ってしまったのかわからない。

負けが確定しているからって記念受験みたいに出ることにプライドが傷ついたのか、そこまでしてバスケが嫌いだったのか。顧問に怒られる未来を想像し怖くなったのか。最後に負ける瞬間、コートにいたくなかったのか。

何にせよ、逃げた。

この事実は変わらない。

それからだったと思う。
私がひどく臆病になったのは。

人と目を合わせて話すことが苦手になった。
人前で発表するのが苦手になった。
猫背になった。
カラダから出る声が全体的に小さくなった。
自分自身にあまり期待をしなくなった。

だって私はあの場で戦おうとも、挑戦しようともしなかった臆病者。
最後までやりきれなかった半端物。

今もその枷を嵌められたままに、それを取る努力さえできない。

耳を劈き私を孤独にする蝉の声。試合に出てすらいないのに、肌に張り付くユニフォーム。最後までボールを追い続けるチームメイト。血走る目。頑張れ走れと叫ぶ隣の席の後輩。握りしめるこぶし。鳴り響くブザー。

私の勇気は、今でもあの夏の、あの体育館に囚われている。

ただ、少し思うのは、

大切なことは、一生立ち直れないことは立ち直れないことで、後からそのことを思い出すときに、「今ならうまくできるのにな?」と思えることではないかということだ。

あの時、私が私を「頑張れない自分」と悟ってしまったことからは、この先もきっと抜け出せない。

今でもたまにふっっと頭に浮かんでは思わず顔をしかめる。

でも、しょうがない。あの時の自分には勇気がなくて、辛さの先にある光を信じる事も、なりたい自分になる努力もできなかった。それが弱くて脆くて、コートに入る一歩を重くしていた私だった。

過去はもちろん変わらなくて無くならなくて、完璧に忘れる事も出来ない。

それでも、違う気持ちで思い出すことならできると思う。

記憶を美化する事とは違う。

後から思い出した時に、そんなに私って臆病だったっけ?なんて不思議に思えればいい。今なら「出ます!」って絶対言えるけどな、なんて首をかしげるのもいいかもしれない。あの時の自分を、「可哀そうに、臆病な私」って思って撫でてあげればいい。今の私はそんなことないけどねなんて強気に思い出してあげればいい。

自分が成長した証明として、あの夏の体育館に囚われていればいい。




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