ふたりの秘密
ほんの出来心だった。
こう書くと何かとんでもない犯罪をしでかしたように聞こえるが、僕がやったのはもっと他愛のない、黒歴史にもカウントされないようなことだった。
彼女に目撃さえされなければ。
その日は僕には珍しく寝坊してしまって、朝食もそこそこに、慌てて家を飛び出した。そんな状況だったから、学校について教室の戸を開けるその瞬間まで、今日が何の日か気づかなかった。
今日は創立記念日で休みだった。
校門をくぐったあたりから妙に静かだとは思っていた。ここまで急いで走ってきた証拠である額の汗が誰に見られることもなく流れていく。無念だ。
なんだか腹が立ってきたのでなにか教室でしてから帰ろうと思い、ぐるりと視点を一周させてみる。やはり目についたのは黒板だった。
今日はまだ誰にも手を付けられていない黒板は、朝日を反射して光っている。純粋そのものだ。これを僕のらくがきで汚してやるのだ。早速チョークをてにとる。このときの僕は冷静でなかった。
そこで僕は 何を思ったか
相合傘を書いてしまった
ガラガラガラと、戸が開く音がした。振り向くとそこには、僕の隣の席が女子が立っていた。彼女はチョークを持った僕と、黒板の相合傘を順番にみて、口をぽっかり開けている。
僕はチョークを投げだし、上履きを脱いで、窓のサッシに足をかけた。
「ちょ、ちょっと、なにもそこまですることないって」
そこまですることあるのだ。なぜなら僕が相合傘の下に書いたのは、僕と、目の前にいる彼女の名前だったから。入学した時から気になっていた彼女の名前を。
いまどき小学生でも書かない、超古典的らくがきこと相合傘。それを偶然間違えて登校してきた本人に見られるなんてことを予想できるだろうか。
死ぬしかない。ここは三階なので十分いけるだろう。僕が踏み出そうとしたその時、彼女がとんでもないことを口にした。
「私、実は宇宙人なの」
彼女の澄んだ声は、音量こそ控えめだったけど、不思議とハッキリ僕の耳に届いた。
言うに事欠いて宇宙人とは。引き留めるにしても、もっとマシな嘘が、
ある。と言おうとしたその時、彼女の顔を見たら、なぜか言葉が出なかった。普段なら始業を告げるためのチャイムが、二人だけの校舎に空々しく響いた。
「私の秘密も教えないと、不公平だと思って」
入学式の前に地球に来たの。いつも朝に挨拶するときと全くおなじ表情と声の調子で彼女は言った。そういえば普段はおとなしいというか、滅多に感情を表に出さない人物だった。僕が飛び降りようとしたときにやっと、彼女が慌てるのを初めて見たくらいだ。
そういうミステリアスなところに惹かれるかもしれない。
宇宙人。真っ先に思い浮かんだのは、火星でタコ型の生き物がうごめいている光景。
「流石に火星にタコはいない……と思う」
心を読まれた。もしかしたら本当に宇宙人……
というか心が読めるなら僕が片思いしてたのもバレバレだったのではないだろうか。
そんなのって、そんなのって恥ずかしすぎる!恥ずかしすぎて飛び降りたい衝動が戻り鰹のようにぶり返してきた。僕の命も、鰹が回遊するように巡ってここに還ってくるでしょうか?
「カツオなのに”ブリ“って、面白い」
やかましい。
「心を読むのは普段はやってないから、安心して」
普段はというのに少し引っかかったが、人の心を読んでどうこうしようという気が彼女にないようで安心した。
もう僕の気持ちは知られてしまったので、恥ずかしさはちっとも減っていないが……
「ちなみに、透視と催眠もできる」
聞いてないし怖いし。
「催眠はほとんど使わないけど、透視はよくやってる」
き、基準がわからん!
何を透視しているというのか。
「それは……」
彼女は、僕の頭からつま先までを目でなぞった後、顔を赤らめて
「秘密……」
と言った。
僕……もうお婿にいけないよ……
そこで新たな疑問が生まれた。そんな能力があるなら、登校日を間違えるようなヘマをするだろうか、という疑問が。
「今日はもともと普通に学校があるはずだった日だから。私が催眠で休みだと思いこませた」
またとんでもないことを平然と言った。倫理的にアウトじゃんそんなの。
確かに、この学校ができたのは今日で間違いないが、だからといって休みにする習慣も無かったはずだ。僕は今年入学したから、勘違いだろうと思っていたが。
なんで彼女はわざわざそんなことを。
すると彼女はにわかに落ち着きがない様子を見せはじめた。なんかもじもじしている。今日はいろんな新しい一面を見せてくれるな。
「君と、お話したくて」
そういうと、彼女は顔を伏せて黙ってしまった。
僕と話すためだけに、全校生徒と職員に催眠にかけて、二人きりになれる場所を設けたと彼女は言っている。
もっと放課後に誘うとか、LINE交換するとか、そうでなくても学校で普通に話せるだろうに。
不器用という言葉の範疇を明らかにこえている。まさしく宇宙規模だ。
徐々に日が高くなって、影がにじり寄るように、教室に差す光が少なくなる。彼女も影に入ってしまった。
思うに、彼女は感情を出さないというより、そもそもの感情が乏しいのではなかろうか。彼女が学校で誰かと話しているところを見たことがない。
あんなに目で追っていたのに。
感情が乏しいからこその純粋さ。純粋さからくる不器用さ。
地球に来たのは入学式の前だと言っていた。そういえば、僕は入学式からすでに、彼女のことが気になっていたのだった。
学校の前の最後の信号。彼女は、小学一年生がそうするように、肘をピンと伸ばし、手を高く掲げて横断歩道を渡っていた。
恐らく誰もが小学校高学年にあがるまでには辞めていた習慣。
その姿が、強烈にフラッシュバックして、今までの彼女の全てがストンと腑に落ちた。
「あ、あれは地球に来たばかりで、知識でしかこの星を知らなかったから」
恥ずかしそうにうつむいている。感情が乏しいというのは僕の勝手な推測で、見知らぬ土地(星?)で、素の自分が出せないという可能性もあるが、こんなに慌てたり恥ずかしがっている様子を見れるのはこの学校で、ともすればこの宇宙で僕だけかもしれない。
そう思うといてもたってもいられなくなって、まだ下を向いている彼女の手を取って、デートしようと、彼女に言った。
せっかくの休日に学校にいるなんてもったいない。
戸惑う彼女をなかば引っ張るように教室を出て、どこに行くか彼女と話した。何のために地球に来たかとか、なんで僕と話したかったかとか、訊きたいことがたくさんあるから、できるだけ静かなところがいい。
校門を出る時に黒板のらくがきを消し忘れていたことに気づいたが、そのままにすることにした。らくがきを消しても、まっさらな黒板を汚したことまでなかったことにはできない。
そんなことを考えながらふと彼女を見ると、彼女も僕を見つめ返してきた。
耳まで真っ赤になったその顔をみて、ゆでダコみたいだ、と思った。
火星にはタコはいないらしいけど。
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