ドラえもん
「のび太、そこで見ていてくれ」
その夜、のび太は海に来ていた。
放課後、いつものようにみんなで野球をした帰り際、ジャイアンに、今日の21時この海岸に来て欲しいと言われたのだ。
ジャイアンと夜の海というものが自分の中でどうしても結びつかず、何度も首を傾げながら歩いていると、やがて視界がひらけて、キラキラと光る海が現れた。
夜の海が持つ独特の威圧感のようなものに感心していると、波打ち際に佇む見知った人影を見つけた。
無論ジャイアンだ。
砂浜まで降りてジャイアンの傍まで近づいた。
沖の方を見据えて、じっと動かずに、押し寄せる波に素足を曝している。普段の彼とはあまりに雰囲気が違うので、言葉が出てこずに、しばらく黙って彼を見ていた。
波の音がかえって静けさを感じさせて、海に飲み込まれたような心細さだった。
そんな不思議な時間が続いて、朝までこのままなんじゃないかと思い始めた時、彼の足が俄に波を割って、暗い宇宙を写した沖の方に進み始めた。
えっ、とそんな声を上げると、ジャイアンも口を開いて
「のび太、そこで見ていてくれ」
と言った。見るって、これを?
訳もわからずに、なんで、と独り言のように呟くと、彼は「贖罪だ」と言った。
「必ず戻ってくるから、待っていてくれ」
腰の辺りまで水に浸かったところで、ようやく彼を止められないと分かった。
泣きそうになったけど、涙は出てこなかった。
彼が嘘をついてないということが、理屈や感情より先にある感覚で理解できたからだった。
そして胸、首と、徐々に彼の体が飲み込まれていき、
あっ、と声を上げる間に、彼は完全に見えなくなって、彼が居たところには、宇宙の果ての虚無を溶かしたような漆黒を湛えた、夜の海が広がっているだけだった。
そして、のび太は待った。砂浜に座って、茫漠とした海をぼーっと眺めながら、来る日も来る日も彼が戻るのを待ち続けた。
そしてちょうど10回目の満月が昇った夜、もう諦めようかと思ったその時、一頭のクジラが夜空に向かって跳び上がった。
まさか、と思って足や服を濡らしながら、必死に海を掻き分けてクジラを目指して進むと、クジラものび太の方に向かって泳いできた。
そして、とうとうクジラとのび太が触れ合える距離まで近づいた。
贖罪はすんだのかい、そう聞くとクジラは背中から盛大に潮を吹き上げて応えた。星からの光を受けた水滴が、キラキラと飛び散る。
のび太は彼の目を見ると、思いを汲み取ったように背中に乗って仰向けに横たわった。
空には満月が浮かび、こうなることを知っていたかのように、穏やかに二人を照らしている。
クジラになってしまったので野球はできないけれど、彼との絆は深まったと思った。ドラえもんやしずかちゃんもそう言ってくれると思う。
波の音は相変わらず響いていたけど、もう心細さは感じなかった。