アルミンの落ち葉からソウルフルワールドのきらめきまで
進撃最終話放送されたね。
最終話放送からこの半月くらい2日にいっぺんくらいのペースでアニメ見直してる。
昔から漫画をあまり読まないけれど、
高校生のときにクラスの子が進撃を学校に持ってきててチラ読みしてからあのダイナ巨人のビジュアルと展開が衝撃すぎて気になってて、でも怖くて大学生になってから恐る恐る読み始めてアニメも見始めた。
途中アニメを見てなかった時期もありつつ
シーズン5が始まるタイミングで一気見した。
漫画も最終話まで読んでから、アニメ放送を待っていた。こんなにアニメをワクワクして待ったのは人生初めてくらい。
原作は読んでいたけど、やっぱアニメで音になると台詞というか言葉がすっと入ってくる感じがあって、
私が最終話で1番心を打つのがアルミンとジークの座標での対話シーンと、ライナーとお母さんの再会シーン。
アルミンのいう親友とのかけっこ、ジークのキャッチボールのように
私ならおうちで好きな紅茶を飲みながら映画を見るとか、
家の中で即興でふざけてパートナーと踊るとか、素敵な建物の間取りを見てここに住んだらこんな家具置きたいって想像するとか、友だちとただただ6時間くらいぶっ続けで話すとか、
そう言う日常に溢れてることを楽しむことが生きることなんだよね。
毎日やらなきゃいけないことが多くて忘れちゃうけど。
エレンママも生まれてきただけ、存在だけで尊いって言ってるし
ライナーママもそれに気づいてくれてライナーが救われる
行動に理由をつけたり、理由を探してしまいがちな思考の私は心が不自由になって苦しくなることが多いからたまにときほぐさなきゃいけないなって思い出させてくれる。
そしてアルミンとジークの対話シーンを見る時にじんわり感じていたものが、ピクサー作品のソウルフルワールドの中の台詞を聞いたときと同じ感情だと思い出した。
そこで改めて見直した。
大きな目標に向かって努力して、あきらめないで、しかもその夢を叶えたジョー
私もジョーと同じで夢を叶える行為=きらめき(生きる意味)と信じて疑わなかったけれど、でもそうではなくて
ピアノが弾けて、両親と過ごして、自分の好きなものを食べて、夢をもちながら過ごすこと自体がきらめきなんだよね。
夢はそんな数あるきらめきの些細な一つにすぎなくて、叶っても叶わなくてもあるだけできらめきの一つなんだ。叶えた夢は、夢から日常の中の事象になるだけで
きらめきの総量は変わってないよね?
ドロシアがしてくれた魚の話の意味を今の私はそう思うことにした。