未だに働く気持ちが分からない

今年でアラサーの枠に食い込む、世間的には良い大人

歳を重ねれば、使命感とか、人生で大切にしたい何かを得て、
それが「働く意欲」に繋がるものだと思っていたのだけれど、
どうにも、そうではないらしい。

自然とそうなった人もたくさん居るのだろうけど、
私は、そうならなかった。

一年ごとに仕事を変え、遊びにほとんどお金を使わないため、
それなりに貯金が貯まる。貯まったら仕事を辞め、
またしばらく引き篭もる。今はその引き篭もりの最中だ。

「なぜ辞めるのか」

辞めたくて仕方がないからだ。態度にも露骨に出てきてしまう。
もともと不得意な対人関係にも余計に溝が生まれ、
どの道、辞めざるを得ない状況に進んで行く。

「責任感が無い」

そう言われれば、まさにそうとしか言えない。
しかし、そんなものどこに売っているのだろう?
「責任感を持て」と言われたところで私には
「もう一本腕を生やして来い」くらい無茶なことを言われてる気がする。


私の思う仕事への責任感を、4種類に分けた上で、
それぞれ5段階で主観的に評価すると、こうなる。

〇作業への責任感   5
〇人間関係への責任感 1
〇結果への責任感   1
〇挑戦への責任感   2

作業とは、物を作ったり整理したり、事務仕事や何かの職人仕事といった、
地味な仕事に丁寧さやクオリティを求める責任。
なぜ地味かというと、派手な広報や戦略やアイデアとは切り離して考えて欲しいから。

人間関係とは、礼儀や気遣い、態度、コミュニケーションにおける責任。
他人の気持ちを理解して、自身を良く目立たせることができる。

結果とは、目標を持って戦略を立て、努力を継続することへの責任。

挑戦とは、新しい試みや発見に対して意識を持つことへの責任。

人間関係やノルマへの弱さが著しい。「1」ではなく「0」と言いたい程。
あからさまに研究者に向いていそうなパラメータをしている。
ところが何の専門知識もないまま大人になった。
それもそのはず、「仕事に就くこと」を考えて生きていないから。


20歳の誕生日に自殺未遂をした。

別に重たくも何ともない。広い意味で大人になって、働きながら生きていく想像がこれっぽっちも出来ず、かといってその時に(今もだが)何か生き延びてやりたいことも無かったので、

「どう考えても死んだ方がトクじゃん」
という気持ちで川で死のうと思ったが、母親が追いかけてきてしまったので
「母親が助けようとでもしたら相当面倒なことになるな」と思って、
中途半端な結果に終わった。とにかく身辺整理が面倒だ。

今でも「死んだ方がトクじゃん」という気持ちは、いつも近くに居て
「今日は何も考えず寝てしまおう」という気持ちの隣くらいに座っている。
一応足枷に繋いでいるので立ち上がってこそ来ないが、いつも見てくる。

彼はきっと、足枷を外してやれば、おもむろに立ち上がり私の手を取って、
ゆっくりと歩き始める気持ちで居るに違いない。

足枷を外すのは、「生活に困って、踏ん張る気力も無かったとき」だ。
無くなったときではなくて、無かったときだ。今は無い。


人間らしい欲求を考えてみる


生き残り、人生を楽しみ、長生きしたい
食べ物、飲み物を味わいたい
恐怖、痛み、危険を免れたい
性的に交わりたい
快適に暮らしたい
他人に勝り、世の中に後れを取りたくない
愛する人を気遣い、守りたい
社会的に認められたい

これは『現代広告の心理技術101』に記載されている、
「誰もがどうしても興味を持ってしまうコンテンツ」らしい。

私はこの中の「危険を免れたい」「快適に暮らしたい」
という部分に於いては正常で、他の項目にはむしろ否定的ですらある

勿論、人によって程度の差はあるが、
全員が必ず持っている欲望から導き出された箇条だ。
ひいてはこれらが、「生きる気力」に直接関係してくる。

逆にこれらの欲望が薄いと
「生きる気力」をどこからも捻出できない

◇誰もがどうしても興味を持ってしまう
全員が必ず持っている欲望
などと書いては見たが、それは間違いかもしれない。

どうやら注釈が必要だ。
※ただし、生きる気力を持つ者に限る
……と。

生きる為のサイクル

どうすれば普通の人のように、生きる為のサイクルを作り出せるのか。
先に言っておくが、前向きな結論は出せないと思う。

〇普通の人のフリをしてみる
これはやった。というか、短期間働いている時間がそれに相当する。
そしてすぐにバッテリー疲労を起こし、充電する期間が必要になる。

〇夢や目標を持つ
私にとって夢や目標は「買ったきり組み立てないガンプラ」になった。
組み上げる時間が苦しいし、恐らく苦労して組み上がっても
「そりゃ組み上がるだろ」と何も満足することが無い。
結局、買った瞬間が気持ちのピークになってしまい、あとはしんどいだけ。

〇他人と関わってみる
ほぼ普通の人のフリに近いが、仕事を伴わない趣味の集まりであっても、
時間と共に煩わしさだけが、しつこい汚れのように残っていってしまう。

〇やりたいことをやる
実はYouTubeで短編小説の朗読やゲーム実況を投稿している。
億が一、誰かが観てくれるかもしれないのでリンクを貼っておく。
https://www.youtube.com/channel/UCINvvacKmnpE7U8gHVWeISQ

曲がり成りにも、高校時代は美術部と演劇部に精を出し、声優の専門学校へ進んだ。もちろん声優の仕事をやりたかったからだ。
ところが自身のあまりの人間力の低さから、自己プロデュースをするハードルの高さに疲れ、1年2ヵ月だけ通い、単位だけ回収して卒業した。

なので、「やりたいことは?」と訊かれれば「声優」と答えることはできるのだが、それを仕事にできないのは「仕事を頑張るだけの生きる気力がそもそも無い」から。

そして、やりたいことをやっては見るが、そこまで生きる気力が充ちることもなく、むしろ避けたい自己プロデュースや、SNS気疲れによって、
やりたいことを嫌いになるかならないかの綱渡りをしている状態に陥る。

なので、やりたいことは細々とやっていくしかない気がしている。

「仕事を頑張るだけの生きる気力がそもそも無い」

残念ながら、これを他人に相談しても全くもって仕方がない。
「でも、生きなきゃいけないから働くんだろう」などと言われても、その「でも」は一体何処から転換してくれば良いのだろうか。

「とりあえず騙されたと思って」と言われても、とりあえず騙されて何度かやってきた結果何も変わってないんだから、提案自体にもはや意味がない。

「両親に対して申し訳なくないか」考えはする。でも他人の心配なんて気にする人間だったらそもそもこういう風にならない。

私が欲しいのは精神論ではなくて、「だったらコレやれば?」という提案。
他人に提案を求めたがるあたり、やはり精神論を提示しない人間と関われるように、定期的に外に働きに出る方がよっぽど建設的なのかもしれない。

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