不安の中にいる人へ、相談できる人は必ずいる。|♯わたしたちの緊急避妊薬 vol.01
毎週金曜、緊急避妊薬を飲んだ経験がある方のお話を共有する“#わたしたちの緊急避妊薬”のシリーズを公開します。緊急避妊薬を飲むに至るまでの体験談を通し、身近にある現状の課題を「自分ごと」として考えていけるといいと考えています。そして、大切な経験を語ってくださったみなさまへ、心から感謝を申し上げます。
※クラウドファンディング《“緊急避妊薬と性知識”で、若者に人生の選択肢を届けたい!#わたしたちの緊急避妊薬》のページもあわせてご覧ください。
必死でつかんだ“外の世界”に出る手段。
――生い立ちのなかで、性に関する話をできる環境にありましたか?
愛さん:前提として、わたしの親は、“わたしがいい子で自分の望む形の子どもに育ってほしい”っていう思いが強すぎるいわゆる「毒親」でした。高校生になるまでに暴力も受けたし、友だちと一緒にいるところを尾行されたこともあります。
例えば「生理って何?」と聞くと怒られる。「痴漢に遭った」と泣いていると、「あなたがボーッとしているから」と怒られる。そういう親だったので何一つ性の知識がなくて。
性行為については、コンドームを避妊に使うものだという認識はありました。ただ、どういう形状で、どう使うのかを知らなかった。知ってから衝撃を受けたのは、小学校2年のときあった性被害、あれはコンドームをつけさせられていたんだ…!というびっくりでした。それぐらい無知でした。
だから、(コンドームを)つけないということがどういうことか、どういう行為をすれば、妊娠に至るのか、すっぽ抜けている状況だったんですよね。
そんな親元で「誰かこの環境から連れ出してほしい」と思っていました。それで、18歳から付き合いはじめたのが、12個年上の男性。それが元夫なんですね。19歳で妊娠が判明するわけですが、これを期に家を出られると思ったら結婚もありだなと。
――パートナーとは、いかがでしたか?
愛さん:今思うと、最初から痛いとか怖いとかそういう思いを何度もするような、対等ではない関係性での性行為でした。それに当時のわたしは相手を喜ばせることを優先した方が、自由になれるって思っていたんです。
結婚生活でも、思いやりに欠けた性行為が続きました。例えば、出産後まだ体が戻ってもいないのに、わたしは夜も寝ずに育児をしていても、性行為を強要されたり、避妊をしてもらえなかったりということもよくありました。
「我慢しなくては」と、誰にも相談できずにいた結婚生活。
――緊急避妊薬を飲んだきっかけを教えていただけますか?
愛さん:正確に覚えていないけれど、20代の半ばぐらい。ある時、性行為の途中で(コンドームが)破れたということがあったんですね。その頃には「この行為は、妊娠に至るんだ」ということが身をもってわかっているし、危機感もあるわけですよね。すごく怖かったんですよ。でも、わたし自身が性の話題って汚いもの、話してはいけないものって親にいわれて育ってきたのもあって、誰にもいえない。
「どうにかしないと」と、当時はまだ一般的ではなかったインターネットを使い対策を調べました。そこではじめて、緊急避妊薬というものがあるというのを知ったんです。婦人科に行って診察を受けると「何しちゃったの。次は気をつけなさいよ」みたいな感じでお説教を受けたことも覚えていますね。
――飲んだ後に、体調に変化はありましたか?
愛さん:わたしの場合は、副作用で生理痛のちょっと酷い版みたいな感じになって。もう本当に痛い。あと、わたしの場合は食欲がなくなり、吐き気も感じはしましたね。
緊急避妊薬を飲んだ後って、ダラダラ血が続くのが結構長く続いたんですよ(※1)。次の生理まで結局答えがわからない(※2)ので、「これでいいのかな、この飲み方でよかったのかな」とメンタル面では不安もありました。
(※1:症状には個人差があります。愛さんの症状は多くはありませんが、そういう症状がある方もいます)
(※2:緊急避妊薬の種類や服薬した時間により避妊成功率は変化します。避妊が成功したかは、服用3週間後以降の妊娠検査薬での確認か次の月経がくるまでわかりません。)
――パートナーと緊急避妊薬を飲んだことについて、お話はできましたか?
愛さん:伝えても、他人事でした。「高額な薬を飲んで、こういう状況になったんだけど」といっても、「ふーん」という感じ。結局その後も、妊娠したかもって瞬間は何度かあって。当時、インターネットで見かけた「低用量ピルの何錠かを一気に飲めば緊急避妊薬と同じ効果があります(※3 医療的に認められていません)」みたいな不確かな情報を頼りにしたこともありました。
本当につらかったけど、自分にとってはそこが緊急避難の場所だったから。また、実家に戻って子育てをやらなきゃいけないのかと思ったら、やっぱり我慢しなきゃと。
その後も、なかなか離婚ができないと思っていたんですが、子どもが大学に進学をするよっていう時に、大学の費用も「俺払わないよ」といわれて。「もう、こいつはだめだ」と離婚を決意しました。そこから、わたしの人生はじまったなっていう感じがあるんですね。
「必ず相談できる人はいる。今、不安の中にいる人も諦めないでほしい」という思い。
――愛さんにとって緊急避妊薬は、どのようなものでしたか?
愛さん:わたしにとっては、不安の中の一筋の光でした。手探りで、やっと見つけた自分をコントロールできる方法一つ。これがなかったら、もっとわたしの人生むちゃくちゃになっていた可能性があり、自分の体を自分で取り戻すことが少しでもできたきっかけにはなったかなって。
――ありがとうございました。