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【超短編小説】この山と一緒に暮らしたかっただけなんだがな
この短編小説は”カリフォルニアから来た娘症候群”の
娘を中心に家族や病院が混乱していく様子を描いたものになります。
カリフォルニアから来た娘症候群とは、これまで疎遠だった親族が、近辺の親族と医療関係者の間で時間をかけて培われた合意に反して、死にゆく高齢患者のケアに異議を唱えたり、医療チームに患者の延命のための積極的な手段を追求するよう主張したりする状況を表す言葉である
この短編小説はフィクションです
突然の出来事
山梨県のある小さな町。そこには、富士山を望む豊かな自然と、長年地域に根ざして暮らしてきた佐野家があった。父親の剛一(68歳)は町の大工として長く働き、多くの家を建てた「腕利きの職人」として知られていた。しかし、ある日工事現場での転落事故により頸髄損傷を負い、自力での歩行が難しくなる重傷を負った。入院から半年以上が経過し、リハビリを続ける中で、退院後の生活をどうするかが家族にとって最大の課題となった。
そこに、静岡県から娘の真由美(42歳)が帰省してきた。大学進学を機に山梨を離れた真由美は、現在静岡で保険代理店の管理職として働いており、夫と二人で暮らしている。物事を論理的に考え、正確で効率的な結論を追求する性格の彼女だが、その姿勢が周囲との摩擦を生むことも少なくなかった。
帰省と論争の始まり
真由美が帰省したのは、家族内で「父を自宅に戻すか、施設に入れるか」の話し合いが難航していると知ったからだった。母の節子(65歳)は専業主婦で、長年剛一の影に隠れて暮らしてきた。自分の意思を表に出すことが少なく、基本的には「お父さんが望む通りに」と繰り返している。一方、長男の健一(38歳)は父の跡を継いで大工をしているが、物事を深く考えるのが苦手で、頼りない部分がある。父親の剛一は「俺は家に帰る。それ以外の選択肢はない」と強く主張し、地元の訪問介護サービスを利用すれば何とかなるという楽観的な考えを持っていた。
そんな中で、真由美が高圧的な態度で会話を仕切り始めた。
「父の状態で自宅介護なんて無理に決まってるでしょ? お母さんが倒れるのが目に見えているし、訪問介護だって頻度には限りがある。専門的なケアを受けるべきよ。」
節子は困惑した表情を浮かべ、健一は口ごもるばかりだった。
「でも、父さんが家に帰りたいって言ってるんだ。それに、家でやれば費用だって抑えられるし……」と健一がようやく絞り出した言葉に、真由美は眉をひそめた。
「そんな短絡的な考え方でどうするの? 介護はお金だけじゃないのよ。母さんも歳なんだから、現実を見なさい。」
剛一は怒りを抑えきれずに声を荒げた。「俺は家族と一緒に暮らしたいだけだ。それがそんなに悪いことか?」
病院との攻防
真由美は家族内だけでなく、病院側とも積極的に話し合いを始めた。父のリハビリを担当する理学療法士や医師に対して、彼女はアメリカの最新医療や転院先候補の専門病院の情報を次々に持ち出し、現状のリハビリ計画を疑問視した。
「どうしてもっと積極的なリハビリをしないんですか? 父の可能性をあきらめるのは早すぎます。」
医師は穏やかに応じた。「お父様の現在の状態では、さらに積極的なリハビリは逆効果になる恐れがあります。身体に無理をさせれば、回復どころか状態が悪化するリスクも……」
だが、真由美は引き下がらない。「そう言いながら、本当にベストを尽くしているようには思えません。父を専門病院に転院させるべきです。」
医療チームは次第に真由美の強硬な姿勢に苦慮し始めた。彼らは患者本人と家族全員の意見を尊重し、地域医療の現実を踏まえた最善の提案をしていたが、真由美にはそれが「不十分」と映ったのだ。
家族の分裂
家族内の対立は深刻化していった。母と兄は、真由美の意見を「現実離れしている」と感じながらも、彼女の高圧的な態度に押されて何も言えなくなっていった。剛一は退院を心待ちにしていたが、議論が長引く中で次第に元気を失い、家族への苛立ちを口にすることが増えた。
「俺がこんな体になったのはお前たちのせいじゃない。だから好きにしてくれよ。」
その言葉に、家族は一瞬息を飲んだ。
真由美も内心では動揺していたが、「父のため」という自分の信念を曲げることはできなかった。
転院とその後
最終的に、真由美が強く主張していた都市部の専門病院への転院が決まった。父が長年住んできた富士山の見える家を離れ、慣れない都会の病院での生活を送ることになったのだ。
転院当日、父は車窓から富士山を眺めながらつぶやいた。「俺はこの山と一緒に暮らしたかっただけなんだがな……」
転院後、真由美は満足げに「これで父はより良い治療が受けられる」と言いながら静岡へ帰っていった。しかし、母と兄はそれ以降ほとんど病院に足を運ばなくなり、家族の絆はすっかり希薄になってしまった。
示唆と結論
この物語は、”カリフォルニアから来た娘症候群”が現代の家族や医療現場に投げかける複雑な問題を描いている。真由美の行動は、論理的には正しくても、感情的には家族を分断する結果となった。医療や介護における決定には、患者本人の意思、家族の価値観、そして地域医療の現実を考慮するバランスが求められる。
社会風刺として、このエピソードは「何が本当の正義か」を問いかける。真由美が信じた「最善の医療」が、必ずしも家族や患者本人の幸福に直結するわけではない。医療従事者や家族が直面する選択肢の中で、何を優先すべきか――それは、数字やデータではなく、人間の思いと絆が指し示す答えかもしれない。
“カリフォルニアから来た娘症候群”は、現代社会における価値観の衝突と、人間らしさを問い直す重要なテーマなのである。
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