「必死のPTA広報委員会」
2004.6.19記録
前記事でもPTA活動の話を書きましたが、その時から約半年後の話です。
子どもの学年があがり、PTAの活動で参加する係も変わりました。
…というか、この年は図書係と広報の二足のわらじを履くことになった私です。
なり手がいないので、担任に直接お願いされて広報委員もやることになりました。
断れない質の私なので、ついつい引き受けてしまったのですが、引き受けたからには頑張るしかありません。
それでも各学年・各クラスから一人ずついるはずの委員は、この広報委員では全員揃っていません。
委員が決まらなくていまだにクラスから委員を出せないでいるところもあるのです。
広報委員は主にPTAの学校新聞を作成する仕事となります。出来上がったものは、県内各学校が参加する学校新聞コンクールで評価も受ける可能性があります。
この係には、私のような仕事をしていない保護者も、仕事をされている保護者もいらっしゃいます。
新聞の記事やレイアウトや校正や印刷所への依頼など話し合うことはたくさんあります。
でもみんなが集まれる時間がなかなか合いません。
どうにか調整してある日の夜七時から、学校の会議室で七月初旬に発行予定のPTA新聞の詰めの作業をしてきました。
この日で二回目の夜の会議です。今年は全校各クラスからまんべんなく人数が確保できていない広報委員です。おまけにキチンと会議に出てくる人というのは意外と働いている人が多く、それでも同じ顔ぶれ。
昼間では集まることができないし仕方なく夜集合です。
期日も押し迫っているし、できる作業をなんとか数少ない会議で、数少ない人数でやるのですから終わるのも毎回夜九時半過ぎちゃいます。
教頭には最後までつき合わせちゃって申し訳ないのだけど(…と言っても教頭にはたまにおたずねする事があった時に顔を出してもらうだけ)、こっちもなんとか活動を推し進めていかなきゃ…という必死の思いでやっています。
いったい執行部は、この大変さをわかってくれているのかなあ…?
まあ…わかってくれていたらまだ委員の名前が出ていないクラスに、早く出してくれって言っているに違いないのでしょうけど、もうずっとほったらかし状態。
私たち広報委員を名乗っている者たちは、すでに見放されているのでしょう…。
なんて、ぐちのひとつも出てきますが、どうにかやれるとお任せされていると思い、とにかくやるしかない!
…って、本当に7月にできあがるのでしょうか?
(後日談:経験者のリーダーさんがかなりてきぱきと進めてくださったおかげで、初めて関わった私は足手まといにならないように仕事をし、何とか出来上がりました。こんなこと、長く続けていけるものなのでしょうか。自転車操業もいいところですね。)
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