「褒めて育てるって難しいね」
十五年ほど前になるが、私の亡き母は当時病院通いが続いていた。
いつもなら父が車で病院まで連れていってくれるのだが、この父も骨折で動けず、この頃は姉妹のなかで割りと時間の融通がきいて比較的近くに住んでいた私が、もっぱら病院への送迎役になっていた。
ある日の朝から病院へ母を車に乗せて送っていく道中、我が息子たちの話になった。
やはり孫のことは、いつどんな時も気になるようで私としては有難い限りである。
「どう?あの子達は。風邪とか引いてないかい?」と母。
「うん、大丈夫。次男は時々咳をするけど、以前ほど熱が出にくくなったよ。でも…ねえ、長男は素直で扱いやすいんだけど、近頃次男がねえ…全く言うこと聞かなくって。なんでかなあ」
「あのな、子供は褒めて育てないと。あんまり叱らないように」
と、日ごろ私がガミガミ母さんを発揮していることを母は知っているので、釘を刺されたのか。
「あ~、でもねえ、自分が褒められて育ってないも~ん」と私。
(そう。母もかなり私たち子どもを厳しくしつけていたので、叱られたイメージの方が強い)
「ふふん…まあね。あんたはおとなしかったから褒めてやってもよかったんだけど、なにしろあの頃は忙しいのもあったからねえ」だって!
そんな母を、厳しくしつけてもらって今でこそ感謝こそすれ、まさか恨んだりはするはずもなく文句を言ったつもりではなかったのだが。
でもいつの世も母親というのは、嫁・妻・母として年中忙しいのは昔も今も変わらない。
とにかく毎日が必死!
周りと比べてはいけないけど、友人の子供があんな有名校に!?とか、親戚の子がすごくいい子に育っていたりするのを見たり聞いたりするとあせってしまって、子供にかける言葉もついつい厳しくなったりはっぱをかけるような口調になってしまう。
やさしい言葉、愛情が言葉の端々に見える言葉をかけているか?
自分も褒められたら、気持ちがいいのはわかっているはず。
でもなかなか褒めてあげられない。
たまに褒めるのは、テストの点がよかったり、作品展で何か賞を取ったときだけ。
つくづく反省させられて、それから気をつけて怒り狂わなくなった私。
(その時は…ね)
いつもなら、ぐあ~~っと鬼の形相で叱り続け、くどくどしつこく叱るところをぐっと我慢。
次男に対しても、時には抱っこして接したり、言うこと聞かなくても丁寧に諭すようになった。
(なんとかこの時は、ね。)
褒めて育てるっていうのは、親の忍耐力を測ることでもあったようだ。
大人になった次男ではあるが、いまだに悩まされている今日この頃である。
しかしこの日記を久々に読み、再び反省の私であった。気をつけなくては。