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「小学校での発表会で感じたこと」

長男五年生、次男二年生の時である。年末に小学校で発表会があった。
内容を前もって知らされてなかったので、すごく楽しみにしていた。

息子が転校して初めて見る発表会である。
前年は仕事で見に行くことができなかったので、どういう雰囲気でどんな感じで進行していくのかもわからなかった。

前年ひとりで見に行った夫の話では、子どもたちはそこそこやってたけど、発表より観客の騒々しさが気になった…ということを話していたっけ。
(幼い未就学の兄弟姉妹を同伴している家族が、会場内をドタバタ走り回る子どもたちを全く制止しないのに腹を立てていた主人であった)

確かに今回も走り回っていた…。
じっとしていない幼い子どもを、長時間じっとさせておくのは難しいけど、そういう努力もしていないのね…。

プログラム案内にも、「去年騒がしくて聞きづらいという反省が出ました。子どもたちの発表の場です。小さいお子様は、保護者のそばで観賞させるように…云々」とわざわざ書いてあるのに。

でもそんな中、大人の私語はあまり聞かれなかったので、そこそこ普通に聞くことができた。

幼稚園での発表会もそうだったが、小さな子どもたちも走り回ったりおしゃべりしたりで騒々しかったが、それは仕方ないと割り切ることができるが、大人たちの私語の方がたちが悪い。
後ろの方でおしゃべりしたら許されると思ってなのか、ざわざわと気になって仕方がない。

しかしこの発表会の時は、大人が比較的“お行儀よく”、静かだったのが救いだった。

肝心の発表会だが、次男の学年が一番目だったのだ。
幼稚園時代、最初のお遊戯でかたまって動けなかった次男。
その後次第に人前でもいろいろやれるようになり、そのたびに感動してきた。

今回の発表は校外研修に行ったときに感じたことやわかったことを、けっこう長い文章で大きな声で言わなくてはいけないものだった。
他のみんなと同じように堂々とひとりで言えたのには、成長したな~と感無量だった。

普段はただでさえ声が小さいし、授業でも積極的に発言できないし、語彙も少ないので、発表する順番がくる前に「大丈夫か…」と心配だったが。
なんとかやれるものなんだね。
みんなができることだから、恥ずかしくなんかないってわかったのかな?

長男も自分の言う文章をひっかかることもなく言えて、こちらもほっとした。
すごく気の利いた内容の文章で驚いたので、あとでネタ晴らしを聞いたら、言っていた文章は全部先生が考えたらしい…。
やはりそうだったかと残念ではあるがとりあえずは安心したのだった。

それにしても先生たちの指導力や、発表の形も様々なので独創力にすごく感心した。
学年の子どもたちのそれぞれのキャラクターを活かしたアイデアがすごく会を盛り上げていた。

元気で且つ入学していろいろできるようになった一年生、ちょっぴりお兄さん・お姉さんになった二年生、担任の得意な百人一首を習って発表に活かした三年生、漫才を取り入れて歌あり・合奏ありの四年生、おもしろい子を中心にコントを前座に行った後まじめな研究発表もする五年生、修学旅行で学んだことと小学生最後の〆で問題提起もやった六年生。

みんな上手にできていた。隣に座った同級生の子のお母さんといっしょに涙を拭き拭き見ていた。

私たちが小学生の頃は、発表会というと合唱か合奏か劇と相場が決まってたけど、今は工夫が様々ですごい。
先生たちの寝る間を惜しんでの準備には頭が下がる。
それを期待どおりにやってのける子どもたちにも大拍手であった。

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