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財布を落とした話
近頃、買い物はスマートフォンひとつあれば済んでしまうので、財布を取り出す機会がめっきり減った。
以前はカード類が何枚も入り、札を折らずに仕舞える長財布を使っていたのだが、徐々に出番が少なくなるにつれ、バッグの中での存在感がばかりが増していった。
昨年春に就職した下の娘が初任給で何か買ってやろうというので、二つ折りの財布を所望した。黒はバッグの中で見つかりづらいので嫌だ。カードが脱落しないようにポケットは内向きについているものがいい。などとわがままを並べて買ってもらったのが、イル ビゾンテの明るい茶色の二つ折りウォレットである。
スマホ決済が主流になったとはいえ、財布の中にいくらかの現金と3種類ほどのクレジットカードとマイナンバーカードを入れて持ち歩いていた。
だが、そのお気に入りの財布がバッグの中から消えた。ない。家中探し回ったが、ない。その日、財布を触った最後の記憶は、スポーツセンターのロッカールームだ。
硬貨が戻ってくるタイプのロッカーで、着替え終わってから返却された100円玉を財布に入れたところまでは覚えている。帰り道に店に寄ったが、支払いはスマートフォンで済ませたから、その時点で財布の有無は確認できない。
現金はまだ諦められるとしても、クレジットカードやマイナンバーカードを失くすのは痛い。マイナンバーカードを再発行するのにどれだけの手間がかかるのだろう。
財布が消えたことに気づいたのは、夜20時55分頃。スポーツセンターの閉館は21時だ。一縷の望みに賭ける気持ちで電話を掛けてみる。電話が通じた。「財布の落とし物はないでしょうか?」
「少々お待ちください」と言われてからの1分間ほどが、とても長く感じられた。「届いています」という回答を聞いてからも、本当に私の財布なのか、中身は抜かれていないか心配だった。
翌朝一番にスポーツセンターに駆け込んで、無事に自分の財布と再会した。まずは届けてくれた善良な方に心より感謝する。ここが日本で本当に助かった。中のカードも現金もそのままだった。
どこに落ちていたかと聞くと、ロッカールームではなく通路だという。いったいどんなタイミングで落としたのだろう。落として気づかない自分の注意力に対する不信感がむくむくと湧き上がる。老化なのか?
年寄りが鈴がついた根付を鍵や財布に付けるのは、ただの飾り以上の理由があるのだと再認識した一件であった。