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裁縫道具の供養を考える

私の祭りが終わったので、家の中に目を向けて少し片づけることにした。(祭りについては、昨日の記事をご参照されたし。)

手芸用品がリビングの収納の一角を占めている。ファスナーやテープの類がごちゃごちゃに詰め込まれていたのを、ジッパー付きの袋に分けて入れただけでも、かなりすっきりした。

大量のバイヤステープや手縫い糸は母から譲り受けたものだ。子どもたちが小さい頃には袋物などを作るのに重宝したが、近頃はめっきり使う機会がなくなった。

何かに使うかもしれないと思ってとってある、服を作って余った生地や端切れ。手芸店に行って気分が盛り上がって買ったはいいけれど、今はもう何を作るつもりだったかも忘れてしまった生地やパーツ。

この先これらのものを使うことはあるだろうか。

恐らくもう使わないだろう。残念ながら、娘たちは手芸に全く興味がないので、私が母から譲り受けたように引き継いではくれない。もう処分してもいいかなと思う。もし必要になったら、その時の気分にぴったりのものを買えばいい。

そう思ってはみたものの、バイヤステープと手縫い糸を捨ててしまうのを躊躇している。端切れはすぐにゴミ箱に捨てられたのに。針供養に表されるように裁縫道具は大切なものであって、無下に扱ってはいけないという刷り込みがあるのかもしれない。

いや、バイヤステープも手縫い糸も織れば布だぞ。そう言い聞かせてみたけれど、踏ん切りがつかないのでもう少しの間取っておくことにした。墓場まで持って行かないようにしたい。



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