この子の誕生で模索が始まったのか
保育園の運動会
少し涼しくなったところで開催されて、本当によかった。これが先週だったら、30度超えで干からびていたかもしれません。今日は朝から都内某所にある公立小学校の校庭を借りて行われた、保育園の運動会に出掛けてきました。孫の運動会です。
2歳児クラスだった昨年は、体操もダンスもただ棒立ちだったのに、今年は表情豊かに踊れるようになっていて、成長を感じました。が、今年の2歳児たちも踊れていたので、もしかしたら指導者か指導方法が変わったのかもしれないなと感じます。
保育園の先生というと、若い女性というイメージが強いですが、最近は男の先生も増えてきました。これからは両親がともに仕事をする時代。子育ても夫婦が二人でするのですから、男性が保育の現場にいることは当たり前になります。生物学的な特性として、男性全般が子育てに向いているのかどうかは疑問ですが、男の子にも新しい概念の教育をしていくことで、保育適性を持った男性が自然に子育ての現場に増えていくことを期待します。
仕事は子供を忘れられる時間
私には2人の娘がいます。同じ親から生まれてもこんなに違うのかと驚くほど、姉妹で性格が異なります。上の娘には思春期の頃から手を焼きました。ちょうど私が今の職場に入社したての頃はひどい時期だったので、仕事のために家を離れられるのが心の救いになっていました。家の中で悶々としていたら、私のメンタルが崩壊していたかもしれません。
職場にいる間は、言葉が通じる大人を相手にしていられるので、仕事が忙しかろうと全く苦ではありませんでした。家の中の辛いことを忘れられてむしろオアシス。そんな時代もありましたが、4年前に上の娘が結婚して出ていき、家の中が平和になると、関心事が徐々に自分に向くようになりました。コロナ禍に重なったことも要因かもしれません。
子どもの世話が一番の役目だった自分が、その役目を終えたときに何をして生きていくのか。自覚はありませんが、孫が誕生したあたりからじわりと自分の今後について、模索を始めていたような気がします。