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4.話し合い

母の実家に居候させてもらってから数ヶ月が経った。

父と母が離婚するかは決まっていない。

そんな中、今後どうしていくかを家族4人で話し合うという機会があった。

今思うと、夫婦間の話し合い、私と姉を含めての話し合いを、先にしっかりしてほしかった。

話し合いをした後に離婚する事が決まらなかったとしても、母には急な「連れ去り」ではなく、ある程度整えてから家を出てほしかった。

もちろん、両親の不仲は父と母2人の問題だから、こういう状況になったのは母だけが悪いとは思っていない。

話し合いをする場所は、私達が住んでいる母の実家。

確か平日の夕方だった。

ピンポンパンポンピンポーン
ピンポンパンポンピンポーン

父が来る時間になり、家のチャイムが鳴る。

祖母が茶の間を出て出迎え、私と姉に声を掛ける。

「ほらぁ〜○○〜Sowaぁ〜、お父さん来たよ〜」

とても優しくて穏やかな話し方だ。

だが、それを聞いた母が、小声で祖母にぶちキレる。

「そんな言い方したら○○○○○でしょ!」

戸惑う祖母。

細かい言葉は忘れたが、○○○○○の内容とは

そんな言い方をすれば子供達があの人に会えるのを楽しみに待っているように思われる

そんな出迎え方をしたら、あの人を受け入れているみたいだ

といった感じの内容だ。

ちなみにこの日までの間に、私は母から父の悪口や愚痴を何度も聞かされている。
泣く姿も見ている。

その上で更にこんなやりとりを見せられ、子供がもう片方の親にどんな接し方をしたらいいかわからなくなるのは言うまでもない。

玄関に行くと、父が立っていた。

つい数ヶ月前まで、一緒に暮らす事が当たり前で、毎日戯れていた大好きなお父さん。

「こんにちは.....。」

私は小さく暗い声で、他人にするような挨拶をした。

「こんにちは」

父も暗い表情と声で返してきた。

客間に入ると、父に対してテーブルを挟み、母と姉と私が並んで座った。
父に向かって右が母、真ん中が姉、左が私だったはず。

ちなみにこの頃、母は離婚したいが、父がしたくないと言っている状況だった。
この状況が2・3年続いた。

話し合いがはじまった。

内容はほとんど忘れてしまったが、1つだけはっきりと覚えている内容がある。

それは、もし離婚して私と姉が母と一緒に暮らした場合の父と会う頻度の話だ。

この時点での私は、どちらと一緒に暮らすかはまだ決めてはいない。

姉が言う。

「もし離婚したら、そんなに多くは会えないと思う。1週間に2回とか...」

私はまずいと思った。

そんなに多くは会えないとは言っているものの、1週間に2回は多いだろうと思った。

そんなに頻繁に会うと言ったら、母がおもしろくないと思うに違いない。

すぐ母を見ると、案の定、何言ってんだというような不機嫌な顔をしていた。

私はすかさず

「でも、今お姉ちゃんが言ったように、1週間に1・2回は会えないと思う。1ヶ月に1回か2回だと思う」

そしてまたすぐ母を見ると、よく言ったというような顔で、うんうんと頷いていた。

今客観的に考えると、小学校3年生とは思えない気の回し方...。
そして、そんな力を身につけるほど、母の顔色を伺う性格になってしまっていた。

本当は父にたくさん会いたいという気持ちを持っていた。

母の顔色を伺い自分の気持ちを押し殺す思考パターン・行動パターンは、もうこの時からすでに始まっていた。

父は

「なんでだ」

と言っていたが、私はうまく答えられず適当にごまかした。

話し合いが最後どのような形で終わったのかは覚えてないが、その後の記憶からすると何もまとまってなかったと思う。

というかまとまっていない。

なぜなら、この後が更に父と母の板挟みになって苦しんでいく生活だったから。

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