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8.受話器を手にして正座した夜

この時もまだ小学4年生。

母との歪んだ親子関係に気づいてから振り返ると、今まで感じた事がなかったが、この日ほど辛かった夜はない。

変わらず父からのストーカー行為が続いていた。

ストーカーと言っても、確かに行動だけ見るとストーカーという言葉にあてはまるかもしれないが、急に愛する我が子を連れ去られ、会わせてももらえない状況の中で、どうしても会いたいと思うがゆえの行動。
気持ちはわかる。

私の父と母の離婚の理由は、父が暴力を振るったとか、浮気をしたとか、そういう大きな問題が原因ではない。

価値観の違い、思いやりの欠如など、どっちもどっちのお互い様。

本当は会わせてもらえない正当な理由はない。

子供側も会ってはいけないと言われる理由もない。

ストーカーという言葉は少し違うとは思うが、他に一言で表現できる言葉もない為、この言葉を使う...。

そういう状況の中、あの夜はやってきた。

この日は父の1番上のお姉さんの葬儀の前日だったとか、そうでないとか。

唐突に母が恐い表情で私に言った。

「これ以上親父にこんな事されると困るから、電話してやめろって言え」

「わかった」

私は即答した。

嫌だと言う選択肢なんてなかった。

そういう事を言われたら、従わなければいけないという考えに無意識に陥っていた。

そんな事やりたくないという感情すらも感じれなかった。

受話器を手にして正座する私。

それを1メートルくらい離れたところから監視するかのように無言でじっと見つめる母。

この頃は、携帯電話が出始めた時だった。

父の携帯の番号を押して受話器を耳にあてる。

父が出た。

元気のない声だった。

結構長い時間話したが、覚えている内容はただひとつ。

父が言った。

「またお父さんを苦しめるのか」

こう言われた瞬間、私はもう強く言わなければダメだと思った。
強く言う姿をお母さんに見せなければならない、そういう感情が一気に出てきた。

私は強い口調で、そして大きな声で父に言った。

「お父さんが苦しめてるんでしょ!!!!」

そう言ってすぐ母を見た。

すると母は、よく言った、それでいいんだというような表情でうんうんと頷いた。
怖い顔つきの中に、少しだけ笑顔が混ざったような表情だった。

それを見て、私は少しホッとした気持ちになっていた。
よかった、怒っていない、お母さんの役に立っている、そんな感情だったと思う。

その直後だった。

「馬鹿野郎!!!!!!!!」

父が受話器越しに私に怒鳴った。

一瞬、恐くてウゥッと息ができなくなったが、その後もそれまで通り会話を続けた。

まだ小学4年生。
泣いてもおかしくないこの状況で、私は涙ひとつ流さなかった。
恐い、辛い、悲しい。
そんな感情など感じる暇もなく、ただただ目の前で起きている事に必死に対応していたと思う。

母からの威圧、父からの怒号。

ただ親に叱られたりするのとはわけが違う。

こんなグダグダな離婚騒動に巻き込まれ、母親には別居中の旦那に言いたい事を伝える為の道具に使われ、自分は何ひとつ悪くないのに、父親からもお前はひどいというような事を言われ、心の中はもうボロボロだったはずだ。

アダルトチルドレンの内容を見た時、すぐ理解した。

あれは「精神的虐待」だった。

もちろんこの時の事だけではない。

大人になってからもあの状況をおかしいと思ったり、辛かったと思わなかった事が信じられない。

どう考えても普通の状況ではなかった。

そう感じないから心の傷に気付かなかった。

無意識にあの時の無自覚の感情や考えがあらゆる場面で出てくるから、大人になっても「生きづらい」。

思い返せば、ずっとそんな人生だった。


電話の最後、父は静かな声だった。

なんだか中途半端な終わり方だった。

涙も流さず、必死に耐えたあの時間。

でもやっぱり辛かったのだろう。

電話を切ると、目には涙が浮かんでいた。

すぐ母を見ると、少し笑顔でこっちにおいでと両手を差し出している。

私は母の胸に飛び込み、大泣きした。

そんな私を、母も泣きながら強く抱きしめる。

歪んだ親子関係が出来てしまっていた。

間違った安心感を覚えてしまっていた。

無意識の中で、自己犠牲をして母の役に立つ事に依存し、役に立った時にのみ自分の存在価値を感じるようになっていた。
これで自分は愛されているという間違った安心感。
母の事を考え、役に立つ事をしても、それは優しさでもなんでもない。
そこには自己犠牲が発生し、心に傷が付いていく。
それがあたりまえになっているから、傷付いている事にも気付かない。
そして母もそういう私の行動に依存する。

これが「共依存」だ。

あの頃からずっとこんな親子関係だった。

母とだけではない。

パートナー、友人、他の人間関係においてもこのような生き方になってしまっていた。

恋人や結婚相手に、親と同じような人を選ぶ場合が多いというのは、きっとこういう心理なのだろう。

良好な関係に感じても、どこか苦しくて辛くて「生きづらい」。

この間違った思考パターン・行動パターンに気付いて、心理学を学んで自覚しても、幼少期の体験と同じシチュエーションになった時、それらがすべて飛び、無意識にあの頃の不安や恐怖の感情が自分の中で蘇り、また同じ事を繰り返して失敗してしまう。

その後にハッと気付いても、その頃にはもう手遅れで、自己犠牲により大切なものを失っている。

もうこんな人生が続かないように、もっと自分と向き合っていかなければいけない。


私にとってこの夜は、こんなにも心に傷を残し、鮮明に記憶に残るほど大きな出来事だったのだが、驚いた事に、母は何ひとつ覚えていないのだという。

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