5.出せない父への愛情と母への罪悪感
いつぐらいの時期だっただろう。
記憶力はいい方だと思うが、あれからもう20数年。
さすがに記憶の順番や、その時の学年や年齢がわからなくなる時がある。
でもまだ大丈夫なようだ。
完全に忘れる前に記しておこう。
まだ3年生。
この日は、父と母と姉と私の4人で暮らしていた家から、母側の親戚の大人総出で、母と姉と私の荷物を運び出す事になっていた。
という事は離婚成立?
いや、まだしていない。
いつまでも居候するわけにもいかないし、まだ離婚はしてなくとも、母はもう父とやり直すつもりはないから、これからどこか家を借りて暮らす為、生活に必要なもの、置いてきたものを取りに行ったという感じだ。
だからこの日は、母の実家に大人は誰もいなかった。
母は3姉妹の末っ子で、実家は1番上のお姉さんが継いでいる。
ちなみに父は6人兄妹の末っ子で、1番上が男、中4人が女で、1番下が父だった。なので、お兄さんと父は15歳くらい離れている。
父は小学校3年生の時、母親を亡くしている。
その時1番上のお姉さんから
「お母さんは星になって見てるんだから、泣いてたらダメだ」
と言われたそうだ。
その後は、4人のお姉さん達が母親代わりのような生活だったみたいだ。
母の実家の家族構成は、祖父、祖母、婿であるおじさん、1番上のお姉さんであるおばさん、そして私の従姉妹にあたる、Y子ねえちゃん、H子ねえちゃん、Mちゃんと、こちらも3姉妹。
従姉妹達はみんな私より年上だ。
末っ子のMちゃんも私より2つ年上だが、Mちゃんだけ昔からなぜかM子ねえちゃんと呼ばずMちゃんと呼んでいる。
そしてこの日は、確か当時高校生だったY子ねぇちゃんと、姉と私の3人で留守番をしていた。
家の中にいると、突然外から叫び声が聞こえてきた。
「○○〜!!Sowaぁ〜!!!」
父だ。
私と姉を呼んでいる。
どうやら母の親戚全員が家に荷物を取りに来たため居る場所がないのと、大人が誰もいないのを見計らって、私と姉に会いに来たようだ。
妻に子供を連れて出て行かれ、妻側の親戚からは一方的に悪者扱い。
それだけではなく、父と母は職場結婚の為、母は結婚を機に退職していたが、父の会社には母の親しい友人がいて今の状況が伝わっていた。話が広がり、会社の中でも世間からも悪者扱いされていた。
毎日のように飲みに出歩いて、家に帰っては1人で泣いていたという。
完全に自暴自棄になっていたようだ。
慌てて外に出ると
「行くぞ!早く乗れ!!いいから!!!」
これも細かい言葉は忘れたが、こんな感じで強引だったと思う。
テンパる私と姉とY子ねえちゃん。
そりゃそうだ。
突然の事で、まさかこんな事になるなんて思っていなかったし、父について行ってはいけないという感情、悪い事をするという感情、母を悲しませてしまうという感情、怒られるという感情、どうしたらいいかわからない。
もう混乱しまくりだ。
そしてY子ねえちゃんは、1番年上のお姉さんとして、この状況をなんとかしなくてはいけない、私と姉を守らなければいけないという責任を感じていただろう。
でも相手は今まで一緒に仲良く生活してきた父。
Y子ねぇちゃんにとっては、今まで普通に接してきたおじさん。
冷たくもできないし、子供側がこの状況で何か言ったり、会話する事なんて出来やしない。
しかも、父とはいえ、親戚のおじさんとはいえ、40歳くらいの男性が怖いくらいに大きい音を立てている。
私と姉は、なされるがままについて行くことになった。
「待って!」
Y子ねぇちゃんが、急いで何かを持ってきた。
「何かあったら電話して!」
手に持っていたのは小銭だった。
この状況でどうしたらいいかわからなかっただろう。
不安だっただろう。怖かっただろう。
でもそんな中で、精一杯私達の事を考えて取ってくれた行動.....。
そしてこの後、Y子ねぇちゃんは心配して母のパート先のおばちゃんに連絡を入れてくれたらしい。
このおばちゃん夫婦というのが、実は父と母の仲人親。
私達家族がお世話になっていて、Y子ねぇちゃんも何度か会った時がある人だ。
このY子ねぇちゃんの行動力、本当にありがたいし、こんな目にあわせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
それなのに、この後Y子ねぇちゃんは、なんで止めなかったんだとおばさんに怒られたそうだ。
いやいや、Y子ねぇちゃんは必死に私達の事を考えてくれて、最善を尽くしてくれたのに。
巻き込まれただけなのに。
何も悪くないのに。
悪いのは、私達家族だ。
Y子ねぇちゃん、本当にごめん.....。
おばちゃんから母に連絡が行き、母はもちろん親戚は大騒ぎ。
○○とSowaが誘拐された!と。
でも、母だって父に何も言わずに私と姉を連れて出て行ったんだから同じ。
どっちもどっち。
私は車の助手席で泣いていた。
父に会えた事は本当は嬉しいはず。
でも素直に笑顔で喜べない。
父についてきてしまって母を裏切っているような思い、悪いことをしている感覚、母を泣かせてしまう、怒られるかもしれないという不安。
父の事も好きだ。
母の事も好きだ。
どっちも大好きだ。
混乱していた。
不安で仕方がなかった。
恐かった。
どうしたらいいかわからなかった。
決して言語化できない行き場のない感情。
泣くしかなかっただろう。
運転している父が言う。
「泣くな」
いやいや、泣くだろそりゃ。
小3だぞ。まだ9歳だぞ。
アホか。
その後、何か食べに行ったような気がする。
今でいうイオンに行ったのは覚えている。
その時に買ってもらったものがある。
私はウルトラマンが好きで、それに出てくるレッドキングっていう怪獣の人形を買ってもらった。
手が人形の中にスポッと入って動かせるヤツ。
あの後母の実家に帰ってから、その人形に自分で布を切って服にして着せていた。
そしたらおばさんが、ボタンを縫いつけてシャツっぽくしてくれた。
それは覚えているが、それ以外は覚えていない。
後から母になんて言われたのかも何も覚えていない。
その人形はしばらく大事に持ってた。
大きくなるにつれて使わなくなるわけだが、数年に1回いらないもの捨てる時、中学生になっても、高校生になっても捨てられず、段ボールに入れて押し入れにしまってた。
おそらく今も実家の押し入れの中。
大きくなった私の中では、父はもう最低な存在。
なぜ捨てられないのかもわからなかった。
父から買ってもらったものだからとか、思い出のものだからとか、そういう気持ちはもちろんなく、それを見る度に、あの時の記憶が頭の中にボーっと浮かぶだけ。
それはなぜかということに気付いた。
ずっと混乱したままだった。
どうしたらいいかわからなかった。
本当は父と一緒にいたかった。
無意識にそういう感情を押し殺して生きてきた。
そしてそれは、心の傷になっていた。
あの出来事の時の自分の状況を認識できたのは、あれから20数年後だった。
こんな風に自分の心と向き合って「気づく」ことが、傷を癒して回復していくための第一歩。
ただ、あの混乱した日は、親の離婚騒動に振り回された日々の中の一日に過ぎなくて、この後、もっと辛い出来事が私を待っていた。
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