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6.決断

この時もまだ小学校3年生。
確か秋くらいだったと思う。

父から母に手紙が届く。

内容はいろいろ書いてあったと思うが、○月○日に、父の15歳離れたお兄さんが来るから、私と姉に来てほしいと書いてあった。

私はこの父の兄、私から見ておじさんにとても可愛がってもらっており、◯◯という地に住んでいるおんちゃんだから、いつも◯◯のおんちゃんと呼んでいた。

同じ県内とはいえ、当時車で3時間近くかかったくらい離れた地だから、会えるのは年に2.3回だったと思うが、私はおんちゃんが大好きだった。

おんちゃんが亡くなった時、私の父と母はもう離婚しており、確か私は中学生だったと思う。

亡くなったという連絡が母に入って、行くかどうか聞かれたが、私は行かなかった。

いや、行かなかったのではない。
行けなかった。

父や父の親戚に会う事が悪いことだという頭になっていたからだ。

今思うと、あのような日々を送らされて行くか聞かれても、行くと答えられるわけがないだろうと思う。

それは、本当は行きたいと思っているという感情さえも認識できない、心の奥深くにある混乱した気持ちだった。

おんちゃんは亡くなる直前まで、私と姉の事を気にかけてくれていたらしい。

手紙が来た後の話に戻るが、母は、いつも通り行っては行けない雰囲気で話してきたのか、行くか聞いてきたのか、どのように話してきたのかは忘れてしまった。

ただ、その後の事は覚えている。

最初、私は今までの状況からして、行かないと思っていた。

でもある時、急に強く思った。

「いつまでもこの中途半端な状況を続けていられない。お父さんにお母さんと暮らすと言いに行こう」

そう思った事をはっきり覚えている。

今思うと、とても辛かったと思うし、無理にそんな決断なんてする必要はなかったと思う。
ただ、この時の私は変に意志が固かったというか、かなり強い気持ちでそう思っていた。 

そう思わなくてはいけないくらい追い込まれていた生活だったのだと思う。

小学3年生が母親と一緒に暮らし、辛そうな姿を見ながら生活していれば、そういう選択になるのも当然だ。

「僕、お父さんにお母さんと暮らすって言ってくる」

母に言った。

「そうか」

なんと表現したらいいのだろう。
母の顔は、恐いともまた違う、よく言ったというような表情をしていた。
そして、私の目を真っ直ぐ見つめていた。

そしてその後に姉も行く事になったと記憶している。

当日、父の家に行くわけだが、もともとは住み慣れた自分も住んでいた家。

とても変な感覚だったと思う。

送ってくれたおばさんと姉と一緒に玄関に入る。

「よろしくお願いします」

おばさんは、今までのような、妹の旦那に対する感じの挨拶ではなく、あまり関わったことのない人にするような挨拶をしていた。

冷たくではなく、腰の低い感じだった。

この状況で顔を合わせるなんて、とても気まずかっただろう。

リビングに入るとおんちゃんがいた。
何を話したかは覚えていない。

父に最初に言われた事。

「来ると思わなかった」

行くという返事をしていなかったのだろうか。

向かい合ってではなく、私の右隣に父、その隣におんちゃんが座っていた。

少しの間、いろいろ話したと思う。

でもその間、私はずっとこう思っていた。

「言わなきゃ...言わなきゃ...」

その事で頭がいっぱいだった。
そして、かなり心臓が鳴っていた。

勇気をふり絞り、やっと父に伝える。

「僕、お母さんと暮らす事にした」

そう伝えると、私の片方の目からは一粒の涙が流れていた。

父は私を見ず、遠くを見つめながら言った。

「そうか」

あれから20数年間、この時の記憶は、ここまでしか残っていなかった。

だが20数年後、父の「そうか」の後の自分がどういう状態になっていたのかを知った。

その直後の私は、荒れ狂ったかのように泣きわめいたのだという。

おばさんが迎えに来るまで寝ていた事は覚えているが、泣きわめいた記憶などどこにもなかった。

私はそれを聞いて、その時の自分の状況のすべてを理解した。

辛いなんてもんじゃなかった。

父に別れを告げるのが、自分にとってどれほどのものだったか。

あんな事言いたくなかった。

父にさよならを言わなきゃいけないなんて、受け入れられる事ではなかった。

でも、そういう気持ちを無理矢理押し殺して伝えた別れだった。

頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。

もう正常な状態を保てなくなっていた。

そして、寝たのではなく、気を失ったんだと。


気がつくと、私は父に抱き抱えられて玄関にいた。

おばさんが迎えに来ていた。

寝ているふりをしていた。

あの出来事の後に起きて話す気力なんてなかったんだと思う。

おんちゃんと会ったのは、この日が最後だった。

母の実家に着いてから、私は客間に敷き詰められた布団の上にいた。

1人だった。

ボーっとしていた。

少し経ってから、襖がスーッと開いた。

Y子ねぇちゃんだった。

私の前に座るY子ねぇちゃん。

「..........。」

私になんて声をかけるか迷っている様子だった。

何度か目が合う。

その度に私はすぐにそらした。

Y子ねぇちゃんが話しはじめる。

なんて言っていたかは覚えていないが、私の目からは涙が溢れ出ていた。

でも、Y子ねぇちゃんが私の頭を撫でながらこう言った事だけははっきり覚えている。

「辛かったんでしょ」

不思議な事に、この言葉をかけてもらった記憶はあるのに、今まで私はこの時の事を思い出しても「あの時は辛かった」と思った事がなかった。

いつのまにか私はまた寝ていた。

そして、この日を境に、私の中に家族みんなで暮らしたいという気持ちはなくなった。

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