「採用責任者」という言葉について
人事関連の方にしか関心のない話題ですが、自分も使っているし、結構いろいろよく使われている「採用責任者」という言葉について思うところを述べてみたいと思います。
例えば、僕はリクルートの元採用責任者というような紹介をされますが、正確に言うと、リクルートの人事部の採用グループのゼネラルマネジャーという役職でした。要は現場の責任者みたいなものでしょうか。
最終面接をして内定出しの権限もありましたし、採用戦略や戦術については、ほぼ上司から指示を受けることはなく(もちろん承認は得ます)かなり自由度高くやらせていただきました。新卒については採った人の配属も最終的な判断は僕でした(というのも、他に誰も知らないからですが)。というのを「責任者だった」と述べています。
ただ、考えてみれば、人事部長であったわけでも、人事担当役員であったわけでもありません。「責任」をどう捉えるかですが、一般的には上述のような方々こそが「責任者」なのかもしれません。
思えば、人事企画責任者とか、人事異動責任者とか、人事育成責任者という言葉はあまり聞きません。
だのになぜ、採用だけ「採用責任者」という言葉が多く使われているのか。(てゆうか、そもそも使われてますかね?カクテルパーティー効果ですかね笑)
まず「自分を大きく見せよう」という気持ちがあるのかもしれません。単なる「採用マネジャー」よりも「採用責任者」の方がすごそうです。確かに僕も商売柄、キャリアがすごかったと思われる方が得です。
でも、例えば僕の場合、自分のキャリアがどれだけ情けない、別に大したことないものであったかをどれだけさらしているかは、これを読んでいただいているような人にはたぶんわかってもらえていると思うのですが、僕はあまりそういう気持ちで言ってはいません(無意識にはあるかもですが)。
他の「採用責任者」の皆さんも、別に盛りたいから言っているわけではないのではないかと思います。
では、なぜ「採用責任者」なのか。
僕が思うのは、実際に、いろいろな人事機能のうち、採用だけはマネジャーとかが結局のところ本当に「責任者」、つまり「最終的な判断をする者」であり「最終的な成果の責任を負う者」だからではないかと思います(他の機能のマネジャーは大抵の場合最終決裁は持っていません。役員などのトップが決裁するための原案を作るのが仕事だったりします)。
例えば、別に最終面接をしていなくとも、応募者を不合格にして会社に入れないという判断をすることはできますし、入り口のところを握っているので、結局、「この会社はどういう人を採るのだ」という判断は採用マネジャーが全部取り仕切っており、意向が明確に反映されます。
また、人事部長や役員がやる「採用の意思決定」は「何人取るのか」「どういう人を取るのか」という抽象的な方針についてに留まりますが、結局、どんな抽象的な方針を決めても、それよりも具体的なレベルでの戦術、どんな話をするのか、どんな広告にするのか、どんな選考手法にするのか、誰をどのリクルーターに当てるのか、で採用の結果は左右されます。採用は戦略よりも戦術、さらに言えば戦闘力で勝敗が決ることが多い。
そういうこともあって、結局、採用の現場責任者が、実質の責任者に近いのではないかと思います。だから「採用責任者」というある意味「謎」の言葉が多く使われるのではないでしょうか。
僕は、「責任者」という言葉を自ら発することはよいことだと思います。採用の責任とは単に「人数合わせ」だけではなく、「この人をこの会社に入れるきっかけを作った」という人の人生を左右する重いものです。
それで成功する人もいれば、早期退職もメンタルヘルスの問題が生じた方もあります。自殺だってあるかもしれません。僕にもいろいろ後悔する過去、背負っていかねばならない過去があります。いろんな人に「あんなのを採ったのは誰や」とか言われますし、「採用ミス」という言葉を言われるとズシンと胸に響きます(もちろん、採用した人が活躍することも多く、うれしいことも多々あるのですが)。
そういう重い「採用」という任務において、「責任は俺にあるんだ」と宣言するのはとても勇気のいることではないかと思います。
だから、いろんな会社の採用のリーダーは、「いや、僕は単にオペレーションやってるだけですから」とか「現場を回しているだけですから」とか言わずに、逃げないで、胸を張って「俺が採用責任者だ」と言ってよいのではないでしょうか。
逆に、それぐらいの気概のない人は、採用のリーダーなど、やってはいけないのではないかと思います。